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 宮殿泥棒/イーサン・ケイニン

柴田元幸訳。
4つの短編(中編?)が収められたイーサン・ケイニン最良の作品集(柴田氏曰く)。
イーサン・ケイニン自身がハーヴァード大医学部で医学博士号を取得した優等生であるが、この本には、普段文学の世界では虐げられて、あまりロクな扱いを受けていない「優等生」が描かれている。だから、どこかユーモラスだったり、切なかったりするのだ。私もこれは面白い本だと思うので、以下、1編ごとに感想を書くことにする。


●「会計士」

これは、短編集『Emperor of the Air』の表題作「Emperor of the Air」にそっくりだ。真面目で仕事もそこそこ上手くいっている「優等生」が、子どもの頃からの友人(実は密かにライバル意識を持っているのだが)に誘われて、サンフランシスコ・ジャイアンツの「ファンタジー・キャンプ」(一流ホテルに泊まり、元大リーガーたちと試合ができるゴージャスな合宿)に出かける。そこで主人公を待ちうけていた運命とは・・・。

「Emperor of the Air」もそうだったが、話の出だしと結末が輪になっている作り。最後に「えっ!」と思わせて、またふりだしに戻る仕掛けになっているのだ。似ている部分はまだある。本筋の分量はそれほどないのに、枝葉の話がたくさんあって、あの話は終わったのかと思っていると、また出てくる。つまり寄り道が長い。それと、専門用語が頻出する。柴田さんもその部分は専門家に頼らなくてはならなかったようだ。そして親子関係の話が必ずはさまれる(実際に親子でなくても、子どもがいたらなあ・・・とか)。それが全て、どうにも切なかったりするのはなぜだろう?

で、結局この優等生である「会計士」は、自分は誰よりも優秀な人間だと自負しているにも関わらず、いつの間にか相手のほうがまともで立派な人間に思えてきて、常に相手のことが頭から離れなくなるというところも、「Emperor of the Air」に似ている。

つまりは、こういう話の作りや内容が、イーサン・ケイニンの特徴なのだろうと思う。そして、ジョン・アーヴィングのような詳細な書き込みと流れるような文章のリズムは、一字一句見逃せない、じっくり読ませる作家であるという印象を抱く。あちこちに寄り道して、途中で何の話だったかわからなくなったりするけれど、しっかり先に進ませる文章力はすごいと思う。しかも明確ではないが、ちゃんと話の起承転結があるのもいい。


●「バートルシャーグとセレレム」

いわゆる普通の真面目な優等生と、天才的という意味での優等生の兄弟の話。普通の優等生である弟と、天才かキチガイか紙一重の兄との対比が面白く、また最後には切なくもある少年小説だ。

ケイニンは、好んで中年・老人の物語を書くのだが、この少年小説は珍しいかもしれない。しかし、柴田氏によれば、「ケイニンの中年・老人小説は、たいていは偽装した少年小説である」ということからも、年齢に関係なく、心は少年の話のようである。

この作品では、天才的な兄が言語まで発明してしまい、周囲の人にはわからない独特の言語で親友と話すというエピソードがあるが、ちなみにタイトルもその「発明した言語」(実はハンガリー語)で、バートルシャーグは「勇気」、セレレムは「愛」という意味である。意味がわかってみると、なんとも切ない話なのだ。

またきれいなガールフレンドのいる兄だが、ある事実が白日のもとに晒される事により、兄の人生のみならず、家族の人生までもが大きく変わってしまう。だが弟は、以前も、そうなってからも、ずっと兄が好きだったというのが本筋。これも「えっ!」と思う展開で、最後は泣ける。


●「傷心の街」

23年連れ添った妻と離婚した父と、その息子の物語。
父はなかなか妻が忘れられず、寂しい毎日を送っているが、くだらないジョークを飛ばしては、息子に嫌われまいとする。一方大学生の息子は、妙に真面目になってしまい、父としては面白くない。息子が何を考えているのかもわからなくてとまどう父。

その二人が野球を通じてふれあい、遂には父に新しい恋人ができるのだが、そのことに尽力した息子の本心に気づいたとき、父は泣き崩れる。この部分は圧巻だ。父と子という関係に何かしら思いのある人には泣ける部分だろう。やはりこれも「えっ!」と思わせるラストで、個人的にも好き。

「会計士」もそうだったが、これも野球がモチーフに使われている。ケイニンは野球好きなんだろう。ここに出てくるレッド・ソックスの負けっぷりは、私の好きな横浜ベイスターズにも似ていて、それを嘆くファンの様子が笑える。「どうせ駄目なんだよ、ソックスは」とか「何てったってソックスなんだから」なんていうセリフは、まさしくベイスターズファンのセリフだ。こういう部分は自分も野球好きでないと書けないだろう。

この作品に限らずだが、原文で読むと見落としてしまいそうなジョークとか引用句が多い。「見落としてしまいそう」ではなく、「絶対に見落とす」だろう。でも、この作品に限って言えば、ダジャレ好きなお父さんのキャラを構成する要素として、けして見落としてはいけないわけで、これを原文で読むのは難しい。柴田さんの訳だから、これが生きていると言えるかもしれない。


●宮殿泥棒

聖ベネディクトという学校の、真面目な教師が主人公で、そこに転校してきたセジウィック・ベルという少年との因縁の対決を描いている話。これもやはり主人公の教師が「優等生」で、その生真面目な小心ぶりは、むしろ滑稽でもあるが、一生そのままの人生を送るのだ。それに反して少年のほうはまったくの劣等生だったが、のちに産業界の大立者となり、最後には上院議員にまでなる。

学校は歴史を大変重要視しており、毎年大きなイベント「ミスター・ジュリアス・シーザー」コンテスト(歴史クイズのようなもの)が行われる。ここでいよいよ二人の対決の火蓋が切られる。このコンテストの描写などは、さすが「優等生」ケイニンだと言わざるをえないだろう。次々に歴史の問題と答えが出され、小説を読んでいるのに、歴史を勉強させられているみたいだ。

そしてこれも、最後のほうにあっと驚く仕掛けがあって、なるほど、やっぱりワルはワルなのだと納得するのだが、人生においての成功者は、真面目な優等生ではなく、そのワルのほうなのだ。

ここには、もう一人優等生が出てくる。コンテストで優勝するディーパク・メータである。かれは昔から頭のいい物静かな少年で、その後コロンビア大学の教授となり、年老いてからも言葉数の少ない老人として、最後は恩師のかたわらに座り、黙って二人でテレビを見るのだ。テレビには成功者のセジウィックが映っている。コンテストの秘密を知るものは、おそらくこの3人だけ。ディーパクが一貫して沈黙を貫いてきたというところに、大きな意味があるのかもしれない。私はこのディーパクのキャラクターが妙に気になり、非常に興味を持った。

ちなみに、タイトルの「宮殿泥棒」の意味は、最後までわからなかった。どこからこのタイトルがきたものか、いまだに不明。


2003年05月09日(金)
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