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 パストラリア/ジョージ・ソウンダース

「この天才の登場に、米文学界の重鎮たちがこぞって狂気した」―カバーより

彼を称賛するのは新聞・雑誌などのメディアだけではない。マイケル・シェイボンやデイヴィッド・セダリスといった作家たち、ニューヨーカー誌のビル・ビュフォード、コーマック・マッカーシーやレイモンド・カーヴァー、それにアメリカにおける村上春樹など多くの大物作家を担当するゲイリー・フィスケットジョンなど敏腕編集者たちも、こぞってソウンダースの才能を高く評価する―解説より抜粋

さて、これだけベタ誉めされている作家の作品てどんなの?ともちろん読むのを楽しみにしていた。しかし、解説であげられている作家たちを見ると、好きな作家もいるが、逆に嫌いな作家もいる。彼らは私の中では相容れない同士なのだが、そういった彼らが一斉に誉めるってどういうことだ?

正直言って、表題作「パストラリア」を読んだ感想は、何これ?という感じ。いわゆる「新しい短編小説」の部類だろう。表題作は短編というにはちょっと長い作品だが、何が言いたかったのー?という疑問ばかり残る。「新しい短編小説」はそれでいいらしい。つまり物事の断片を切りとって放りだしているだけといったようなもの。サマセット・モームが嫌った手法だ。

ここで、テーマは何か?作家の言いたいことは何か?と一生懸命考えるほうが馬鹿らしいことなのか?はたまた、私がそこまで読み取れていないのか?どちらにしても、好みの作品ではなかった。あれだけの誉め言葉を聞いていれば、過大な期待も止むをえないが、それでも、またか・・・という失望は禁じ得ない。こういう作風の作家は大勢いる。大騒ぎするほどのことじゃない。

無理やり細部に説明をつければ、良いところも見えてくるだろうが、木を見て森を見ないのもどうかと思うので、全体としての感想だけにとどめるが、スラング満載の「クソ」と「糞」ばかりの本は、私には評価できない。言葉がどんどん湧き出てくるようなエネルギーは感じるし、途中、想像力が飛躍して、あちこち脱線するのも良しとするが、どの作品も結末がすべてがっかりだ。

文学は美しいだけではないことは百も承知だし、こういうのが新しい短編小説だと言われればそうなんだろうと思うが、個人的には汚い話は嫌だし、古めかしくとも起承転結のある、何が言いたいのかはっきり読者にわかる作品のほうがいい。

解説にコミカルでユーモアがあると書いてあったが、それもまるで感じなかった。これがユーモアであるとすれば、「クソ」とか「糞」に「笑い」を感じる人たちなんだろう。たしかにそういう笑いも存在する。だが、言葉を考え抜いた上質なユーモアではなく、人をいじめて喜ぶ類の笑いだ。悲惨な場面や不気味な場面もあるので、「いじめて喜ぶ類」というのは、当たらずとも遠からじだと思う。主語のない文章、形容詞や副詞がバラバラな文章を読んでいるような気分。こういった小説が高く評価されるなら、私の興味はますます古典へと向いていくことだろう。

しかし「ソウンダースのユーモアは難しい」ということなので、しばらくしたら、もう一度トライしてみようとは思う。もしかしたら「クソ」や「糞」が上品で高尚に見えてくるかもしれない。(^^;

余談だが、全ての作品に「ママ」、あるいは「ママ的存在」が出てくる。その「ママ」は、どの物語でも主人公に大きな影響を与えている存在だ。もしかしてソウンダースはマザコン?


2003年04月07日(月)
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