ほうじ茶飲話【JOYWOW】
2005年05月19日(木)
ちょっと思い出話
NYの友人がBlogで、昔一緒に住んでいたあたりの写真をUPした。懐かしくて恋しくて、どうしようかと思った。
NYに帰りたいとか、あの頃に戻りたいというわけじゃない。 ただ、今の私を作っている内容物が目に見えるとしたら、あの街で生活した8年間が半分くらいを占めているのだろうと思う。単にNYだからとか、外国だからということではない。笑顔も喜びも、そして、やるせなさ、不条理、悔しさもぜんぶひっくるめて、あれだけ真摯に『生きる』という日々を重ねられた場所が、私にとってはたまたまNYだっただけなのだ。
「真摯に生きる」 言葉ではうまく説明できそうにないけれど、とりあえず。
誰一人守ってくれる人のいない世界で、泣いて帰れる実家もない。そんな所で精一杯自分を見つめて生きること。 例えば、野菜の命と値段を知ること。 例えば、つたない異国語で電話線を引くこと。 例えば、すれちがいざまの白人オヤジに「中国人は犬喰うんだってな」とやじられ、友人の親戚に「日本人は熊を食べるから野蛮」といわれ、私服ポリスに「この辺でうろうろしているとまた留置所にぶちこむぞ」と人違いされ、騒音の文句を伝えた隣人に逆切れされ、 あげくイミグレーションでいちゃもんつけられようと、 誰はばかることなく前を向いて歩くこと。 そうして一日の終りに、夕日が綺麗なことに感謝して、 おいしいビールが飲めること。
こうやって並べ立てると苦味ばかりが突出されるけれど 苦労や痛みがえらいわけでも、買ってまでするものでもない。 ひとつだけ言えるのは、真剣勝負で生きるって、毎日体の細胞が総入れ替えしちゃうようなそんな、ばっさばさに気持ちのいいものなんだ。あの頃は必死に生きることしか思いつかなかった。だからこそ、過ぎたあの日々が私を作っているって言い切れるのかな。
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