ほうじ茶飲話【JOYWOW】
2003年10月20日(月)
三つ子の魂百まで
大阪と横浜で通った幼稚園時代のことは、ほとんど記憶にない。 が、強烈なインパクトすぎて忘れられない事件がふたつある。 今日はその大阪編について。
大阪時代、親の計らいでオルガン教室に通っていた。 ある日のこと、つきそいの母が私の上履きを持参することを 忘れた。仕方がないので、親に言われるまま大人用のスリッパ を履いた。その日は、お教室で一列に整列させられ、両手で 前の子の肩につかまるように指示された。 先生が「今から先生がぶんぶんぶんを弾きますから、その リズムに合わせて飛び跳ねてみましょう」という。 小さな私の心臓はばくばくしていた。大人用スリッパじゃ 歩くことさえ上手に出来ない。どうしたらいいんだろう? と、思うまもなくオルガンが鳴り響き、飛び跳ねたが 着地すると脱げそうになるスリッパが邪魔になり半拍遅れる。 付き添いの親たちから合わせられない私に苦笑が漏れるし、 母に目で訴えて助けを求めたが、時、既に遅し。。。 その曲が終わるや否や、母は私の手をぐいっと引っ張り お教室を途中退場するではないか。あわれかわいそうな私は その教室に二度と通うことはなく、母から「音痴」という レッテルを生涯貼られることとなった。笑。
この母の思い込みが理由で、幼少時から人前でパフォーマンス することを極端に避ける傾向がある。幼馴染にも確認したところ、 「うん、Yukariは確かに目立つのを嫌っていたよ。でもさ、 目立とうとしなくても十分目立ってたんだよね(笑)」と。 微妙に複雑な心境である。
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