ほうじ茶飲話【JOYWOW】
2003年10月19日(日)
日本人であること
土曜の夕刊で、フィリピン人の母と日本人の父を持つ 無国籍児童ふたりに、日本国籍を与える判決がおりたという 記事を読んだ。日本にも、その数が知れないほど多くの 無国籍児童がいるという。就学・保険診療・免許・結婚・ 渡航・就職・結婚、なにひとつ選択することができない。 あたりまえすぎて意識をすることもないと思うが、 私たちは生れ落ちた時から、国と社会制度から与えられる 多くの保証によって守られているのだ。その保証が何もない 人生をイメージすることができるだろうか。
NYにいた間に三度ビザ(査証)を書き換えた。その都度に大枚 US$を払って敏腕弁護士を雇い、書類を作成し、日本にある アメリカ領事館に出向いて判決を待つ。書類に不備が皆無で 人物像に何の問題もなくても、ビザがおりるかどうかは運と 担当官の気分次第。生活のすべてはNYにあるし、ダメだし されたらどうしようかと、比喩でなく真剣に、毎回断崖絶壁の 綱渡りをしているような気分だった。そんな不安定な立場の 在留邦人である私の最後のよりどころは「日本人である」こと だった。
米国には許可を頂いて住まわせてもらっている状態だけれど 日本に帰ったら、私だって立派なもんなんだから!と、 思うことが何度もあった。普段からそんなことばかり考えて いるわけではないのだが、在留の身ゆえに、もらえないが 払わなければならない労災や失業保険、査証問題に直面する 時々に自分を慰めるために必要な意識だった。
日本の法律は、米国なんて目ではないほど外国人に厳しい。 その中で今回ようやく、日本国籍を手に入れた子供たち。 彼らが大人になった時、「日本人である」ことを心の糧に できるのかだろうか。生れ落ちてからずっと日本人の私には 想像すら難しい。
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