3月半ば、 人生初の携帯電話というもんをもった。 別にのどから手が出る程ほしかったわけでもなく、 携帯電話反対派だったわけでもなく、 そういうタイミングだったのだ。
もってみるとおもしろいもんである。 待ち合わせが簡単だし、 公衆電話をさがしまわることがない。 普段は連絡をとらない友だちとマメに連絡をとれる。 歩いていておもしろいことを発見したときに、 即座に友だちにメールでしらせられる。 突発的に飲みたい時に飲み友だちに連絡できるしされる。 写真もとれるので、うれしくていろんなものをとった。 生まれたての姪っ子の写真や 妹の授乳シーンがおくられてくる。 それはそれは、 現代人の悦びというのをじっくり味わったのである。
みんなこういう風な感じで 電車の中で携帯をいじくりまわしていたのか! ちょっと開眼気分。
そして、3週間目。 二日酔でお腹をこわしていて、 地下鉄のトイレに入ったとたんに その携帯電話をトイレにおとしてしまったのだ。 急いでひろってふいたが、どうやら溺死。 (注:おとしたのは、用を足す前)
それまでの3週間。 わたしは携帯電話のおもしろさにひきこまれていたので、 それはそれはショックでしたよ。 つきあって3週間目の大好きな彼にふられたようなもんだ。 かなりの喪失感。
しかし、 お金もないことだし、 最後の望みをかけて、かわかしてみることにした。
きょうはかわかしはじめて1週間目。 かわいたようなのだが、 普通には全く動かず。御臨終。
それで、 この1週間に考えたこと。
携帯をもっていると、 自然や自分の気持ちに対する感覚が 鈍くなるような気がする。 しゃべりたいとおもったらすぐに話ができるので、 相手のことを、自分の中でじっくり味わいながら考える …という時間が少なくなる気がする。
わたしははまりやすい依存的なところがあるので、 特にそれを感じたのでした。
以前、 「最近公衆電話がなくて困る」 とぼやいていたら、 「相手のことを考えながら公衆電話を探す… そういう時間が人生で大切な時間なのよ」 といわれたことがある。
ホントにそうだ。
いまごろあの人はねむってるのかなあ、 今度会ったらこの話したいなあ…とか。 月のまわりに虹ができてるから 明日は雨かもしれないなあ…とか。 今日の空気は沈丁花のにおいがしてきもちがいい…とか。
そういう時間が減ってしまうような気がした。 まめに連絡をとろうがとるまいが 大切な人はずっとわたしの中で大切だ。
でも、 携帯をもっていると便利なこともたくさんあるしな。 使いかたによるよな。
酒はのんでものまれるな。 携帯はもってももたれるな。
人生で大切なものってなんだろな。 なんだろな。
さて、モンダイです。 わたしは、 携帯を買い替えるでしょうか? もうもたないでしょうか?
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