私は私を殺したい、けれど

 酒を飲んで私は、指が動かなくなる。
 腕が動かなくなる。
 歩みが歪な曲線を描く。
 へらへらと、常ならば口にしないことばを言ってみようか、といういたずら心が首をもたげる(そしてたいてい失敗する)。
 それでも八割がた、心に納める。
 ゆらゆらと左右に揺らぎながら、或る人間を殺すことを考える。
 知られてもいい。罰せられてもいい。なぜなら殺したい人間はただひとり、私だからだ。
 どう殺そうか。最も痛く、生きていたと思える方法。
 でも他人に迷惑をかけない方法。
 できることなら、痛みの後に骨まで溶けて跡形もなく消えてしまいたいけれどね。



 こどものころ、休みの日には父親の病室を尋ねた。
 父はなにも言わず、眼だけを動かし私たちを見た。
 洗面器が常備されていた。吐血するときのためのものだ。
 母は何度も、「楽に死なせてください」と医者に懇願した。「これ以上生きられないのなら、せめて痛みのない死を」と。拒否した医師を、彼女はいまでも強く恨んでいる。
 彼は、生きたかっただろうか。父は。
 「もう長くないから覚悟して」と言われたときから、三年、生きた。
 そのはなしを級友H氏に話したら、「ばかやろう、おれの親父は三年といわれて三ヶ月で死んだ」と言われた。
 その差がなんだというのだろう。
 「どっちも大変だよね、オモニがさ」と私は言った。
 「そうだよな」と彼は言った。
 苦しみぬいた、父親の姿。
 黄疸。こけた頬。いまも思い出す。
 それを見たくなくて、私は口実を見つけてはM氏の病室を尋ねなかった。
 彼の死を確信しながら、遠い過去のことだった父の死を重ね合わせ、怖れた。
 死ではなく、痛みを。
 彼が感じているだろう恐怖を。

 私は恐怖を感じて死にたい。これ以上ないという痛みを経験して。
 父に母が、H氏の父上にそのアネ(奥さん)が、M氏に両親がいたように、私は誰にも「かわいそうに」と、「痛かろうに」と思われず、痛みを、恐怖を甘受して、それで誰の記憶にも残らないで。
 私は私を殺したい、けれど。


 「あっちにいったら瞬時に忘れてやる」と云われ、少し嬉しかった。
 忘れられることこそ望み。
 けれど私はあなたに忘れられたくないと思ったのだ。
2007年10月29日(月)

メイテイノテイ / チドリアシ

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