私は私を取り戻したい

 薬を飲んだ?
 うん、飲んだよ。指示どおり、三種類、二錠ずつ。
 くちが苦くなってきたらお布団に入ろうね。苦くなってきた?
 ン〜?まだだなあ。
 あれ?おかしいな、飲み忘れたかな?
 飲んだと思ったけど…そうかも。

 毎晩自問自答し、指差し確認。
 でもそれが、今夜のことだったか昨夜だったか、思い出せないことも多い。


 私の話すことの二割は、目覚まし時計やパジャマのことだと小浜が云った。
 それは私が毎日の三割くらい、眠れるようにと願う時間に費やすから。
 実際眠れなくてもいいんだけれど、眠い、というのがつらいし危険だから、やはり夜、眠るべき時間に眠りたい。できれば健やかに。
 パジャマを替えてみて、アラームの音も変えてみて、やわらかいけど適度な抵抗のある枕、それから小浜からもらった柔軟材の匂いのするくまの抱き枕――私はそれに「クマンタレブー」と名付けた――があれば、眠った記憶はなくても、覚醒したときにに少しは気分がいいような気がして、せいぜい整える。




 もっと多くを望んでいい、とか、もっと欲張っていい、と、ほんとうによく言われます。
 やさしいことばを云うひとが、常に応えてくれるかはまた別問題だし、望んだとおりに応えてもらうこと、或いは大いに欲張っては叶えられなくて勝手に落胆したりすることを自らが由とするかも、また別問題。
 だけどねー。
 なにも望まないふりをして、おこぼれを期待する自分がいちばん浅ましいと思う。



 私は変わった、だろうか。
 だとしたいつから、どこからが本来の私だろうか。変わる前の私だろうか。
 戻ったほうがいいのか。もっと変わっていけばいいのか。
 ただいづくて、抜け出したいとは思う。
 でも、いづいと感じなかったことなんて、かつてなかったじゃないか。
 過去は、いまよりはもっとずっと楽だったとは思うけれど、いづくなくは決してなかった(きみの傍でうとうとと眠るあの時間は別にしてネ)。
 いづかった。いつも。
 それでも。
 それでもだ。
 それでも私は私を取り戻したい。
 取り戻すべき自分のかたちすらわからないけれど。
 いづくない自分へ。




 平泳ぎをしていると、時折右股関節がひどく痛む。
 図書館で読んだ岩崎恭子の本には、クロールなどと違いプルよりキックで得る推進力がより大きい平泳ぎでは、蹴りそこなうと亜脱臼することもあると書いてあった。
 どうだ。図書館で水泳の本を探す私のまじめさったら。
2007年09月10日(月)

メイテイノテイ / チドリアシ

My追加 エンピツユニオン
本棚