ぬかみそ |
眠れないので再度挑戦。 酔っ払いの愚痴日記は消しました。 自己嫌悪は落ち着いています。 眠れないけれど、眠りたいわけでもないのです。 たぶん、眠らないほうがいいのかも知れません。 特に会社に行く前日は。 否応なく行ける、でしょ、たぶん。 起きるのがつらい。一日が始まるのがつらい。 会社に行こうと思うのがつらい。 ならばはじめから、ギリギリまで遊んで、慌てて出て行くくらいがいい。 薬を飲むと思考や視界がぼやけ、まっとうな社会人が起きているはずもない真夜中に、そう親しくもないひとにメールを書いたりしてしまいます。送りませんが。 寂しい、のかな。 これが本質、なのかな。
いままで云わなかった云うまいとしていた斯様な愚痴や泣き言が、この頃はポロポロとこぼれてきます。それがよい兆候なのか、そうでないのか、判断がつきません。母上は「愚痴る元気がでてきたってことじゃない」などと云うのですが。 自分がわからない。 自分という人間がわからない。 一生付き合っていかなくてはならない唯一の存在なのに、自分自身が一番わからない。 「好き」を集めていったら、自分の形がわかるような気がしていた。「好き」と感じてなにかが動く、それが「自分」だと思っていた。 だって私と妹は、同じ環境で同じものを食べて同じように育ったのに、こうも違う。私が「好き」だと感じるのは、私が私だからなのだと思っていた。 だから「好き」を集めた。 好きな小説、好きな映画、好きな音楽、好きな絵。 プラネタリウム、雪の降ったあとの冬の空気。冬の星座。 傘をささずに雨に濡れる。 はだしのまま、新雪に足跡を残す。
いまは「好き」が動かない。 だからただひたすら「ボーガ」を追う。 我を忘れて、自分を忘れて、俯瞰する自分をなくしたい。 けれど日記を書くという作業は、それとは対極にあって。 なぜ自分が斯様に日記を書き続けるのか、最早よくわからないのだけれども。多分必要なのだと思う。自分を突き詰める作業が。 「好きだ」と思ったことが、なぜ好きなのか。 「楽しい」と思ったことが、なぜ楽しかったのか。 「悲しい」と思ったことが、なぜ悲しかったのか。 怒りを感じるべきところで、なぜ感じずに腑抜けていたのか。 まあ、結局わからないンですけどね。 自分、自分、自分、自分。 私の世界はいつもそれだ。 自分と、自分以外。結局そこに終始する。 眠れない夜は、そのことばかり考える。 それでも眠れない夜は、眠らずに過ごす。
何でもいいのさ 壊してしまえば おまえはいつでも アナーキスト 壊れていくのは てめえばかり ぬかみそになって オポチュニスト
吐き気がするほどロマンチックだぜ 吐き気がするほどロマンチックだぜ
スターリンの歌を思い出してみる。 ぬかみそか…ぬかみそ…ぬかみそ…
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2005年01月17日(月)
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