二十歳の日記

 昨夜の誓いも虚しく、今日は仕事を休んでしまいました。
 自己嫌悪ぉうぅぅ(またか)。
 いいさ、明日はがんばるさ。
 甘えるナ。がんばれ。動け、足、手、頭。
 今週は休日返上だ。がんばろう。


 薬の量やタイミングの調整がうまくいかないのか、どうにも思考も身体もフラフラしてしまいます。なんなんだ、こんなの私の体じゃねえぞ。眠っている間にダレか改造した?薬を減らすと辛いし眠れないし、どう対処していいかわからない。処方通りに服用しているンだけどな。飯食わない(正確には食えない)からかな。アルコホルはだいぶ減らしているのだけれど。合わないのかな。薬ってテリブル…。今度の通院時に相談してみよう、とはいえ次の予約日はどうしても抜けられない仕事がある。土曜の午前中でもいいけど、混むしなあ。苦手なンだよネ、待合室。狭い椅子でほかの患者さんと隙間なく座るのも。斯様な場所で否応なく聴かされるモーツァルトやENYAなんてこの場合ウンコかっつーくらいにサイアクだと思うわけで。否、どれも好きだった、以前は。でもいまは嚥下する力がないせいか、どうにも息苦しいのです。やはり私自身の問題なのだな。


 フラフラ時にぶつけたらしい散らばっていた本を片付けていると、二十歳から二十二歳までオフラインで書いていた日記帳(といってもやはり一ヶ月に一度くらいしか書いていない)を見つけました、というか見つけてしまいました。
 湯船に浸かりながら読み返す。ン〜…なんというか。
 字が汚い。誤字脱字多し。やけに尊大。あほ丸出し(要するにいまとあまり変わらんらしい)。こんなものが残っているなんてウカウカ死ねません。

 18歳まで民族学校という閉鎖的なコミュニティに属していたおいらは、「日本人社会」とのあまりのギャップに相当のカルチャーショックを受けたようです。在学時は「反動的」な言動(といっても小心者なので微々たるものですが)によって、どちらかといえば劣等生扱いを受けていた私ですが(まあ確かに革命史とか朝鮮歴史とか朝鮮地理とか社会とか国語とか数学とか体育とか家庭科とかダイキライだったが)、それでも12年という歳月に失望する程度には影響があったようで、って当たり前か、12年だもんナ。とにかく七年前の私は修飾語のない自分を確立するのに精一杯のようでした。
 と、他人事のように書いていますが、だってもう、どちらかといえばあそこでの生活のほうが遠い異世界のことのように思えるのだもの。二十歳の頃のモヤモヤも完全に晴れたわけではないけれど、当時よりは希薄になってきたかな。それを進歩と云えるのかはナゾですが。
 蝸牛の如き歩みでも、取り敢えず歩んではいたみたいなのでよしする。


 それにしても、若いってやっぱり多感だが罪なまでに鈍感だな。
 面白かったのでここにアップしようかとも思ったのですが、朝鮮語と日本語がチャンポンで書かれた文章を整えるのに時間がかかりそうですし、面倒なのでやめました。ま、気が向けば。
2004年12月02日(木)

メイテイノテイ / チドリアシ

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