後悔はしないような気がします

 まァ、なんというか…私は常に、「できる」と「したい」と「しよう」の条件が重ならないと「する」には至らないわけで。色々な面で。
 溺れない、流されないということが美点になるわけでは必ずしもないとは思うけれど。
 それにしてもばかなことをした。
 ン〜…考えるのよそう。




 M.ナイト・シャマランの『ヴィレッジ』を観た日から、思考が停滞しているような気がする。ア、常に停滞したまんまでしたか。
 もう十年以上も考えていたことの結論を「気が変わるかも知れない」と先延ばしにしていたのですが、やはり気が変わらない。
 そうこうしているうちに結論を急ぐ理由ができました。そろそろ締切のようです。


 自分の抱える中途半端なアイデンティティ、「ザイニチ」という不確かな地盤、その業を、後世に特に自分の子供に引き継ぐということを自分に許せるだろうか。
 自分の子供に、何を教えられるだろう。
 自分が迷い惑っているというのに、どうしてなにかを教えることができよう。
 テケトーに誤魔化すか?色々とテケトーに誤魔化されて育ってきた私も、それなりにこうして過ごしているからナ。マ、それなりに育てられるだろうサ。
 自分ならいい。自分がどうなっても自分の所為だし、自分で納得するほかない。
 けれど子供は自分じゃない。自分とは別の意志と人生を持つ存在だ。
 ただ、それを自分は許せるか。それが問題だ。


 結局私はとても利己的なのだ。
 自分がそれを許せない。だから躊躇するのサ。
 子供のためなんかじゃない。
 自分のために決断しよう。
 ま〜なんとなくだけれど、後悔はしないような気がします。
 なんせ十数年も思い悩んだ末の結論だからナ。
2004年09月26日(日)

メイテイノテイ / チドリアシ

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