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今日はお葬式でした。 お通夜の席で既に盛大に泣いたワタシは、幾分落ちつきを取り戻し。 けれどやはりぐずぐずと泣き。 「喪の仕事」ということばをふと思い出し。 同名の映画を思い出し。 また小説「レディ・ジョーカー」の加納のことばを思い出しました。
この歳ですので死に接した経験もそれなりにあります。 そのたびに思い、再確認するのは、この喪失がうめられ充足されることは永遠にない、ということです。当たり前のことのようですけれど。 喪われるたびに、自分のどこかが欠けていくのだろうと思います。 永遠に、その欠けたものを抱え続けて生きていくのだと思うのです。 喪失をうめることはできない。 喪失は、この喪失の痛みは、躰のなかの「収める場所」に収まってワタシの一部となり、永遠にワタシのなかに在りつづける。 欠落しながらも、欠落したものとして、確かにずっと在りつづけるのだ。
そんなことをぼんやりと。 今夜までは喪失とその痛みに泣こう。 明日からはまた仕事で、しかも明日はゴトウ日で。 仕事に厳しい彼だ。いつまでも泣いていては叱られよう。
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2004年03月14日(日)
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