結論と訃報

 経理ならずとも、仕事に正確を期するのは最低条件ですが、マニュアルの通りにやって済むのは、全体の仕事の実に3割(当社比)。実際には現場に応じてフレキシブルに対応してゆくことが求められます。そこで活路となるのは経験とか閃きとか、あとは周囲とのコミュニケーションを重ねていくほかありません。それでなんとかできるところはするし、譲れないところは譲ってもらう、と。

 現場に立つことはなく、事務所でひとり数字とにらめっこするワタシは、なにより現場の人間に自由に動いて欲しいと思います。勿論採算性は無視しません(できません)が、お客様にも取引業者にも、誰にも不自由を感じて欲しくない。そういったところから「パーフェクト」であろうと思うのだから、やはりこれも選択なのだ、と思います。
 不承不承そうしているのではなく、切り捨てているのでもなく、それを優先しているのだ、と。
 やはりワタシは基本的、というか本来的に前向きストなのだなァ…。



 と、自己の仕事への姿勢について一応の結論を見出した感じ。
 しかしながらまたしても膨大な事務処理に忙殺されそうになっていた今日、入院中だった上司の訃報が届きました。
 弔電や供花の手配、社内外への連絡をバタバタと事務的にこなしながら、けれどすべての同僚が退社してひとりになったとたん、こみ上げるものを堪えることができませんでした。
 泣くのは不遜だと、ずっと戒めてきました。
 いまも、泣くべきではないと思う。けれど。


 彼から学んだことは多く、学ぶことができなかったことも実に多く。
 しかしそんなことより、いまはただ彼の不在、彼の喪失が哀しく悔しい。
2004年03月11日(木)

メイテイノテイ / チドリアシ

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