御免

 妹の結婚話がこじれている模様。
 無論彼女の幸福を願ってはいますし、そのために手を貸すことも吝かではありませんが、当の本人がハッキリしないのでは、伸ばした手の行き場もなくなるというもので。
 そんな滑稽な役回りは御免です。
 確りしたまえ。



 先日の日記でクレーンやドリーを多用した映像について触れながら、ふと北野武監督の「座頭市」(2003年日本)を思い出しました。
 アレも妙に視点の定まらない映画でありました。それが画期的であった一昔前とは違い、俯瞰も地面スレスレから人物を追い上げる映像も、そう撮る「必然性」がなければ面白くも何ともない。どんな映像も、(お金と技術、或いは時間があれば)有り得る、撮り得ることを知っている現代の観客は驚かないのです。逆にそこまでして撮った映像の語る内容が空振りだったりすることの方が、ピンとこないわけで。
 いずれはこんなことを考える必要もないほど、それはありふれた技術、ありふれた手法になるのでしょう。現にそうなりつつありますし、無論それが悪いというのではないのですが、しかし、効果に乏しく誰も気付かないような努力、というのは、自己満足の域を出ないのではないだろうか、などと考えたりもします。
 「頑張ったネ、良かったネ」で済むのはアマチュアだけデス。


 お金を払った消費者のハシクレなので好き勝手なことを書きます。
 御免。
2004年02月16日(月)

メイテイノテイ / チドリアシ

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