petit aqua vita
日頃のつぶやきやら、たまに小ネタやら…

2003年03月20日(木) 『花と修羅』(ヒカ碁小ネタ)

陽射しはやわらかいそれになったものの、風はまだ冬のように冷たい、3月。
校庭のかたすみでは、気が早いタンポポが2,3、その冷たい風に揺れながら咲いていた。

葉瀬中の卒業式が終わって、とごかしんみりした雰囲気から、それぞれ談笑するような明るいざわめきに変わる頃。
母親の立ち話に付き合うのに疲れてきたヒカルは、幼なじみに声をかけて、その人込みからそっと脱け出した。

「……あの……進藤センパイ!」
「……?……何?」

それを待っていたように見知らぬ女子生徒から声をかけられた。
本当に、顔も名前も見覚えがない。
学年章を見ると、一年生だった。
……ますます分からない。

「えっと……俺に、用事?」
人違いではないかと訊ねたヒカルに、目の前の少女はぶんぶんと首を振った。
そして、後ろに持っていた花束をガサッと、勢い良くヒカルの前に差し出す。
「進藤センパイ……卒業、おめでとうゴザイマスっ!」
それと同時に、少女は俯いたまま、祝福の言葉を口にした。
ヒカルは呆然として花束と少女を見つめる。
ピンクとオレンジのガーベラを一輪ずつ……たった2本だけの、しかし可愛らしい花束。目の前の小柄な彼女を思わせるそれは、とても自分のためのものとは思えなかった。

「これ…オレに?」
「はい!!」
ヒカルが何か喋るたびに、少女の顔は真っ赤になっている。俯いてはいるものの、ショートカットの髪からのぞく耳まで赤くなっていることから、それと分かる。
……受けとって貰えるかどうか……不安に、震えているのも。
何か小動物を相手にしているようで、ヒカルはくすりと笑った。そして、その柔らかそうな髪をぽんぽん、と叩いてやる。
「サンキュな」
そう言いながら、花束を受け取った。
名前も知らない後輩。…しかし、必死になってこの花を渡そうとしてくれた、その気持ちは嬉しいから。

「……あの…あの……もっと大きな花束とかにしたかったんだけど……でも、花って結構高くって、私が買えたの、それくらいしかなくて……」
ごめんなさい。…そう、ちいさく呟くのが聞こえたような気がした。
「ヘーキ。名前は知らねぇけど、カワイイ花だよな、コレ」
そう言ってやると、少女は泣きべそ寸前だった顔をぱっと上げた。
「ホントですかっ?!」
「うん。男のくせにって思われるけど、俺、結構花が好きなんだ。…変かな」
「ぜんっぜん!ソンナコトないですっ!」
少女の反応は、まるでびっくり箱のようにぎくしゃくしていて。それがおかしくて、つい、笑ってしまった。

「…以前は、さ。花なんて全然興味なかったんだけど……身近にいた奴が、花が好きでさ。花屋にある花も、そのへんに咲いてる花も、みんな「きれいだ、きれいだ」って喜んで。…よく、土手や空き地の花を摘みに行かされたよ」
ヒカルの言葉に、少女の表情が固まった。

「その…人は?」

先輩の彼女ですか…?言外に、そういう問いを含ませたが、ヒカルはその問いに、目を細くした。
…確かに微笑んでいるのに、どこか、苦しそうに。

「いないよ」

あの、どんな花でも愛し、愛でた人は。

「もう…いない」


少女は、それ以上何も聞くことができなくなった。
ほんとうは、せめて、いつも遠くから見ていた憧れの先輩に、自分の想いを伝えたかったのだけれど。
こんな泣きそうな顔の人に、そんなこと、言えない。

…彼女の初恋は、口にされることなく、終わった。



「先輩は…囲碁のプロなんですよね」

「ああ……うん」

うつろな答え。少女は、きゅ、と手を握り締めた。
「いつか…先輩が何かの大会で優勝した時も、また花束持って行っていいですか?」
「え?」

「……がんばってください。…その、花の好きな人のぶんまで」
少女の言葉に、ヒカルは驚いたように目を見開き、そして微笑んだ。
「サンキュ。楽しみにしてる」

そう言って小さな花束を揺らしてみせると、少女は短く、「それじゃ」と呟いて、走り去って行った。
彼女の頬に光るものに、ヒカルは気づくことなく。


ヒカルは手にした花束を見つめる。
何かの棋戦で優勝したら、また、くれるという花束。
それは、優しくはかなく、華やかに愛らしく、折から吹く風にゆらゆらと揺れる。
しかし、それを手にするためには……戦わなくてはならない。
数々の棋士を相手に、それこそ死闘を繰り返し、相手を打ち負かし、蹴落として。…それを拒むなら、はじめからその世界にいることすらも許されない。
棋士は戦い続ける。
…そう、いにしえの、修羅のように。

……きっと、あの少女には想像もつかないことだろう。
自分が渡す花束が、そういった死闘の結果であることに。
渡される花束の影に、幾多の挫折や絶望があることに。

……以前は、自分もそのひとりだった。

――あの、花の様な修羅と出会うまでは。

知らないまま、一生を過ごしていたかもしれない。

――修羅と出会い、囲碁への道を、指し示されるまでは。






風が、花の香りを乗せて吹く。
(帰ったら、この花をあの碁盤の前に生けよう)
…少しは、喜んでくれるだろうか。

囲碁に全てを捧げた、千年の時を超えた修羅は。

ヒカルもまた、同じ道をゆく修羅となったことに。


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平 知嗣 [HOMEPAGE]

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