petit aqua vita
日頃のつぶやきやら、たまに小ネタやら…

2003年03月15日(土) 『桜、散る』(乾海小ネタ)

「合格したよ」
そう告げられた言葉で、覚悟していた別れが、現実になったことを知った。

卒業式が終わった後も、高等部へ進学が決定している卒業生は、相変わらず青春学園の中等部のテニス部に顔を出していた。外部への進学を決めた者も、たまにではあるけれど顔を出す。お互い、4月になれば、それぞれ別々の道をゆく――その別れを、惜しむかのように。

乾は、公立高校には受かっていたのだが、もうひとつ、別の私立高校も受験していた。そこのコンピューター環境と、大学と共有しているという巨大な専門図書館に惹かれたらしい。
あまりに楽しそうにその高校について語る乾に、海堂は、胸の辺りにこみあげてくる痛みを、握り締めた手の中で爪を立てて、こらえた。
「離れたくない」なんて自分の感情は、単なる我侭だと、分かっていたから。
出会った時から、乾は自分よりも年上で。
いつか、離れる時が来る。
――それは、分かっていた事だった。
乾に、「好きだ」と告げられて、自分も、「好きです」と伝えた日から、ずっと。
ただ、それが、できるだけ遠い日の事であればいいなとは、願っていたけれども。

学生服のまま、テニスコートにやってきた乾は、淡々とデータを告げるように、言った。
「合格したよ」
その言葉に、いち早く反応したのは菊丸だった。
「乾おめでとーーっっ♪」
言葉と一緒にジャンプ一番でダイビングアタックしてくる。
身長が高いから細身に見られがちな乾だが、しっかり鍛えられた彼の体は、今さらそれくらいでは揺るぎもしない。
「おめでとう、乾」
にこにこと不二も微笑んだ。珍しく裏のないそれで。
「これでみんな進路決まったにゃーvv」
「そうだな。だいたい皆、希望通りに進むことができて良かった」
はしゃぐ菊丸に、大石がふわりと笑ってみせる。
「祝勝会しようか?良かったらウチで」
まだ修行中だけど、俺が作った巻き物食べてほしいな、と、河村が控えめに申し出る。
「良いっすねぇ〜!俺たちも行きたいっす!なぁ、越前!」
「うぃ〜〜っス」
「お前達は寿司が食べたいだけだろう。参加するなら、後輩たちは何か一品持ち込み制とする」
祝勝会の話に盛り上がる桃城と、寿司の話に興味深々な越前に、手塚がピシリと釘を打った。そして菊丸をはりつかせたままの乾に向き直る。
「おめでとう、良かったな、乾」
すい、と差し出された手に、乾は口元をすこし笑みを浮かべて握り返した。
「…何か、照れるね。ありがとう」

皆が、乾の前途を祝して、喜んでいる。
自分も、そうしなくてはいけない――意識しないと、そう思えそうにない自分に、海堂は無性に腹が立った。
こんなこと、ずっと前から、分かっていた筈なのに。
何度も何度も頭に描いて、その時は、きちんと、お祝いを言いたかったのに。
――どうしてこんなに、足が、手が、口が動かないんだろう。
こんな、ことでは、いけないのだ。
動け、動け、動け!!

「……セ・ンパイ」
そう口にした時、微かに唇がふるえた。悔しくて、もう一度拳を握り締める。
その手の中で、爪を立てながら。
「何?海堂」
乾の、平坦な声が応じる。低くて、すごくよく響くくせに、平坦な喋り方。
この声で、名前を呼ばれるのが好きだった。今も、それだけで嬉しいと感じる自分がいる。もっとも、その喋り方はわざとで。自分を抱きしめ、キスをした後に囁かれる声は、もっと濡れていて、思いにあふれたものであることも……自分だけが、知っている。

いつの間にか、菊丸は乾から離れ、乾は海堂の目の前に立っていた。かつてのテニス部のレギュラーメンバーは、2人を見守るように、たたずんでいる。
「その……高校合格、おめでとうゴザイマス!」
それ以上、乾の顔を見ていることができなくて。海堂は、一気に頭を下げた。
「うん…ありがとう」
乾は、相変わらずの表情のまま眼鏡を押し上げる。

…何か妙に緊張した雰囲気を察した菊丸は、慌てて海堂の背中を叩いた。
「なーなー、かおちゃんも祝勝会来るんにゃ?何か持ってきてくれるなら、おかーさんの手作りそばがいいなー♪すげぇ美味いもん♪」
とはしゃいで、じゃれついてみる。
「…あ、それ僕も食べてみたい」
まだ食べた事ないんだよね、と、不二が微笑む。

…海堂は……俯いたまま、それに応えることはできなかった。

「………スンマセン………今日は………弟が風邪ひいてて……早く帰らないといけないんス」
そう告げて、もう一度ぺこりと一礼すると、海堂はそのままテニスコートから走り去った。
そこにいたら、間違いなく乾の目の前で泣いてしまいそうだった。







走って、走って、走って。
ムチャな走り方をしたせいで、息が苦しい。
立ち止まったのは、いつも練習していた、公園の中。
よくその木陰で休憩していた大きな木は、今、満開に咲いていた。
春が来て、ようやく気がついた。この木は、桜だったのだと。
かなり気が早い桜らしく、他の木は二部咲きほどなのに、この花だけが、今を盛りと咲いていた。
――乾の合格を、喜ぶように。

「散れよ……」
その木の幹を叩いて、呟いた。
「散れよ……桜なんて、散ってしまえ!!」
乾が高校に行ってしまうことを喜ぶ花なんて、いらない。そんな花は、いっそ散ってしまうと良い。

海堂は、桜の木の幹を掴んだまま、ごつん、と額をその木にぶつけた。
妙に生暖かい木の皮が、流れてくる涙に濡れていく。















「……さて」
乾は、ふう、と一息ついた。
「じゃ、ちょっと行ってくる」
そう言い残して、乾は海堂が残していったラケットを取り上げ、部室へと向かった。
「…何処へ行く気なんだろう?」
「決まってるにゃ〜♪海堂のトコだよん♪」
「海堂、着替えもラケットも置いたまま行っちゃったからね」
「え、でもマムシの奴、弟が風邪って……」
「そんなの嘘に決まってるじゃないっスか」
「そうか。乾が卒業したら、離れ離れになってしまうから」
「素直には、乾の合格を喜べないだろうな」
皆の視線の先には、海堂のバッグを背負い、ラケットを持った乾の背中がある。
その背中は、ゆっくりと、遠ざかって。

テニスコートには、強い風がふきつけてきた。
「卒業か………寂しくなるな」
ふと呟いた大石の言葉に、なんとなく沈黙が落ちた。
それを破ったのは、表情の読めない笑みを浮かべた不二周助。
「姉さんが好きな歌にあるんだけどね」
何の話だ、と皆が注目する中、彼はにっこりと笑った。
「『卒業できない、恋もある』んだってさ」
あの2人のように。
「…かも、しれんな」
手塚の呟きに、反論するものは誰もいなかった。















「こんな花……散ってしまえばいいんだ………」
そんな海堂の願いを叶えるかのように。
一陣の風が、満開の桜に襲い掛かった。
桜は音もなくその花びらを散らせ、風に舞う。
中心にいる少年は気付かない。

花びらが雨のように散る。
その下で泣く少年を、覆い隠すように。

そして、彼は知らない。


今、そこに近づく、たったひとりの、足音を。


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