2003年03月06日(木) |
『PHOTOGRAPH』(神谷小ネタ。神谷渡欧中) |
渡欧してから、一ヶ月。 チームが世話をしてくれた下宿屋に住んでいるのだが、その小さな部屋にはあまり物が置かれていない。…まぁ、こっちに来てからすぐチームと合流してトレーニングと試合三昧の生活を送っているから、仕方ないといえばないのだ。下宿だから、食事は一階の共同リビングでとるし、居心地が良いから起きているときもだいたいそこ。……つまり、本当に部屋には寝るためにしか入ってない。 日本から持ってきた荷物もあまりないし。一目見て、「物のない部屋」そのものだ。
先日部屋を訪ねてきたマテウスは、やれ殺風景だの、趣味のないつまらない人間の部屋だだの、自分の部屋でもないのにさんざん文句を言って帰った。すると次に来たヴィリーが、小さなミニバラの鉢植えを持ってきてくれた。(どうやらマテウスが同じような内容を、独逸の面々に言ってまわったらしい) 「これくらいなら、世話も簡単だから」 少しは部屋もうるおうだろう、と言って渡されたそれは、鮮やかなオレンジ色のミニバラだった。ありがたく頂戴したのはいいが、カイゼルのバラ園から株分けしてもらってきたってオイ……。 毒の花粉でも撒き散らすんじゃないかとちょっと引いたが、存外それはカワイイ姿に似合わず結構丈夫だった。今ではしっかりと、この部屋の住人となって、がらんとした部屋に文字どおり花を添えている。 ……どんな環境でも変わらないずうずうしさを、育てた人間(カイゼル)から受け継いだんだろうな。まぁ、このバラにとっては、良い事か。
昼からはオフなので、昼間にこのバラを見るのは久しぶりかもしれない。 ……そう思いながら、ぼーっとバラにコップで水をやっていると、ノックの音。 『アツシ?お客様よ』 大家のシュペーマン夫人の声だ。…客?誰だよ。今日のチームメイトとの約束は夕方だから、まだ時間があるはずだぞ。でも婦人が取次いだって事は、マスコミ関連じゃねぇよな。 『客?誰?』 『ルディよ。ルディ・エリック。ドイツからのお客様』 ――え。 『今行く!』 『早く下りていらっしゃい。庭に食事の用意をしておいてあげるから、ゆっくりお喋りするといいわ♪』 婦人は「ドイツからのお客様」が大のお気に入りだ。 …ま、俺の「独逸からの客」ときたらあいつら…プロのサッカー選手しかいないからな。カルチョ好きのシュペーマン老夫妻には願ってもない客だろう。 「それに、みんないい子ばかりよ♪」とは、夫人談だが……「いい子」ねぇ……。マテウスやヴィリーならそう言えるけど、カイゼルを見てもそう言うんだろうか。この人は。 今日は独逸サッカー界の「至宝」の訪問だ。今夜の夕食の話題はルディの話で決まりだな。
階下に下りた俺は、案の定シュペーマン氏に捕まっていたルディを改めて夫妻に紹介した後、夫人が用意してくれた外のテーブルセットへと向かった。 割と大きな木の下にあるそこは、イタリアの強い日差しを遮り、時折さらりとした風が吹く。……日本じゃ考えられないほど、こっちの夏は快適だ。 「イイ下宿だな」 「ああ。チームが紹介してくれたんだ。あの夫妻もサッカー好きだし、特にシュペーマン氏は語学博士でもあるから、早くイタリア語を覚えろってさ」 軽く喋りながら、ルディは軽く俺の手を握って引き寄せ、自分の頬と俺の頬を触れ合わせた。 こういうとき、外国って便利だ。多少触れ合っても自然だもんな。(日本じゃこうはいかない。せいぜい、一部の女子に喜ばれるくらいだ)
……ただ、ルディの目はそうは言っていない。 (もっと触れたい、キスしたい) ――って、言ってる。…ほんと、正直なヤツ。少し拗ねてる色があるけど、何でだろ?
『はい、お待たせ。ルディはパスタは好き?』 「?」 首をかしげるルディ。…あれ。こいつイタリア語はだめなのか。 「パスタ好きかだってさ」 俺が口をはさむと、ルディは夫人に振り向いて、ニッコリと笑って頷いた。出たな、マダム殺しスマイル。この一見「やんちゃな子供風」な笑顔のおかげで、ルディは通常のファンとは別に、お母さん世代から大いに支持されているらしい。 ルディの笑顔に大いに気をよくした夫人は、上機嫌なままパスタの他にサラダ、それからミネラルウォーターとブラッドオレンジを出してくれた。 『それじゃ、ゆっくりしていってねvv』 という言葉を残して、夫人は夫の待つリビングへと去ってゆく。 「…ま、とりあえず食おうぜ」 午前中のトレーニングで腹が減っていた俺と、朝早くにフランクフルトを発ってこっちに来たというルディは、夫人の自慢のソースをからめたパスタをひたすらかき込む事に専念した。
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