椰子の実日記【JOYWOW】
2003年04月22日(火)
母国語で語り合う
ヨーロッパで生まれた近代的自我は人間を幸せに するのだろうか。しないのではないか。狭量で、 例外を許さず、0か1かのジャッジしかできない。 相手をとことん追いつめ、自分が白だと思ったら 相手が黒だと言うことを許さない。
言語学の裏づけが欲しいところだが、0か1かで 建築のように構築していく言語体系はヨーロッパ (ひいてはアメリカ)ならではのもので、ポリネシア、 日本、中国、韓国、アフリカ、ラテンアメリカ、など の言語は、あいまいな、グレーゾーンを認め、それを 表現することで人間関係を「まとめる」方向に来ていた のではないか。日本は西欧思想を明治以来輸入してきた が、ハッピーの量は増えたのか。「論理的に考える」 ことは、実は不幸を増やすだけのことなのではないのか。
地理で言うとヨーロッパに入るがウェールズ人のR・S・ トーマス(詩人)の言葉。
「もう核爆弾が落ちて、世界は滅びるかもしれない。 しかし、人間は滅びるかもしれないけれども、世界の 終わりにも、この空間を、この世界を見渡しながら、 世界が美しいということについて、自分の母国語で 語り合う人間ということを想像するのが好きです」 (訳・大江健三郎)
母国語は重要であり、そもそも祖国というものは国語 のことだ。「読み・書く」ための日本語の研究を 続けるうち、この結論に至った。「西洋流」は、そろそろ 卒業しよう。
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