正直いって昨日の日記は自慢でした。 でも、子供と遊ぶのがうまい なんてたいして害にならない自慢だと思うので許してください。 昨日のわたくしは、とにかくなんでもいいから自慢したかったのです。 そんな本を読んでしまったのです。 図書館のリサイクル本コーナーにあったのです。 新しめのキレイなハードカバー。 南スイスアルプスの紀行文。 と、帯にあったのでもらってきました。 スイスは特急で通りかかったことしかなかったので、そしてその時にチラ見したアルプスの絵葉書そのままの風景に、 年をとったら余裕をもって行ってみたい、と思っていたので興味があったのです。 でも出だしからして何か変。 わたし(筆者)の旅哲学、いかにステキに旅したいか、ステキな服を着て、ステキな食べ物を食べ、 ステキな出会いをして、そうしてきたからこそ自分のしてきた旅は一度も失敗などない、 いずれも素晴らしい思い出である、 と、いきなり2ページに渡り書いてある。 わたくしの旅は失敗ばかり。それでもいずれも素晴らしい思い出だい、といじけた気持ちになりながらも、 やや顕示欲の強い、自分の価値観に絶対の自信を持つ作者なのだな、 アルプスの高級なヴィラに滞在し、社交しまくるなんてことは一生起こり得ないし、 考えただけでゾッとするけれど、だからこそバックパッカーの紀行文より面白いかもしれない、と読み進めました。 わたし(筆者)は、上流階級のひとではなく、普通にフランクフルトのオフィスで働く女性で、 ドイツ人と結婚している日本人だということはすぐに分かりました。 旅で出会う人達も、中流の人々です。 でも、なにか変。 たしかに、わたし(筆者)は精力的に山に(ケーブルカーで)登り、湖を船で観光し、 日帰りバスツアーに参加し、 仲良くなる人々は、ブティックのオーナー夫妻や退職した元教師のような人々なのです。 普通のひとの普通のヴァカンスなのです。 でも出だしから何か鼻につく。 まず、わたし(筆者)の話し言葉がぜんぶ 「〜ですわ。」 んー、丁寧なドイツ語で初対面の人と話すニュアンスを出しているのかな、と思いましたが、 その会話がですね、なんとも古臭いエスプリのきいたものなのです。 人間喜劇の洋画なんかでよくあるでしょう。 なにごとも一ひねりして投げ返す、そんなお互いの機智合戦、 おまえら頭の回転が速いのはわかったから話をすすめろ! と江戸っ子なら誰でも怒鳴りたくなる、ちょっと洒落た会話。 あれを全部、「あら、それは〜ですの?」「あなたは〜な方ですわ。」で綴られる。 それから出だしの列車に乗るところ、食堂車のなか、すべての男性がわたし(筆者)に優しい。 出会うすべての人が、「学生さんでしょう。おおまさか信じられない!」と言う。 まあヨーロッパだから。それに女性の一人旅だし。 と、大目にみつつも、どことなく自分は特別扱いされているような記述も目立つ。 うむー、なんと顕示欲の強いひとだ、と思いながらも、アルプスにつきました。 なかなか文章のうまいひとなので、むーと思いながらも山々や自然の様子など読ませてしまう。 そうかー ババアになる前に、絶対いくぞ! と思いながらも、 その自然に感動する自分の感受性とそれを育んだ青春時代のくだりに又うへー。 ただ絶妙に すごいでしょ感を顕にしていないというか、自分で気がついていない風な顕示っぷりなのでまだ読ませてしまう。 ところが翌日からの観光で馬脚をあらわし出しましたよ。 とにかくナンパされまくる。 イタリアとの国境に近いところなので、イタリア男のナンパなのでそれはいいのです。 普通です。 なんだか変な部分はですね、その他の人々との出会いは、バスや電車やレストランの中なのに、 ナンパ君たちは全員、わたし(筆者)の前にどこからともなく車であらわれるのです。 万歩ゆずってこれもよしとしましょう。 イタリア男の わたし(筆者)への賞賛を「〜ですわ。」で軽くかわすくだりも百万ゆずって我慢しましょう。 でもね、その男達の乗ってきた車の描写が微にいり細にいりなんだよ。 男の容姿はみなほどほどなの。っていうか薄い描写なの。 でも車がジャガーの特別色だとか、××の4ドアのコンバーチブルは生産ラインにないから特注だとか、型式まで書いてあったり詳しすぎる。 はじめはドイツだし、わたし(筆者)は自動車会社で働いているのかと思ったのですが、 途中でどうやら金融関係の会社とわかり、やっと初心なわたくしも、 これはナンパ男達のステイタスを自慢されているのだと気付きました。 そういえば会話は宙に浮いているのに、男の服装や色の取り合わせ=センスのよさもやけに詳しく書いている。 うへー、なんだこりゃ。 中盤までに「学生さんでしょう。おおまさか信じられない!」の会話も何回読んだか分からないほどだし、 この本はここまでだな。ただの自慢本だったか、と思われたのです。 ところがこの本はここから驚くべき展開に入るのです。
さてここまでの間に、わたし(筆者)は、かつてドイツの大学で教鞭をとっていた日本人と親しくつきあっていたという老夫婦+老義妹と仲良くなります。 同じヴィラに泊まっており、偶然日帰りバスツアーで一緒になり魅力ある老夫婦+老義妹(としつこく書いてある)とわたし(筆者)は夕食をともにします。 その次の日から老夫婦+老義妹とはあちこちで顔をあわすのですが、 だんだん老紳士(引退した銀行家)のわたし(筆者)への科白は情熱を帯び、行動はストーカーチックになっていきます。 そうなのです。老いらくの恋なのです。 うへー、自分のことなのによく書くなー、とナンパ自慢にも増してゲンナリしていたところです。 でも一応、わたし(筆者)は、そんな老紳士の気持ちに気付かない(でいてあげている)と読めるよう書かれていました。 ところが、わたくしがもう限界 もう読まなくてもいい、と投げ出そうとした次の章で、 いきなり老紳士の長い独白が始まったのです。
???
瞬間かるいパニックにおちいりました。 これは紀行文ではなかったっけ? なぜここで わたし(筆者)以外の視点での一人称がはじまるの? わたし(老紳士)が、いかに老妻を愛し感謝しているかや、苦しかった戦中のことを訥々と述べているよ。 述べてもいいけど、なんだろうこれは。 わたし(筆者)が老夫妻からきいた四方山話を老紳士の述懐として仕立て直したのかしら? あらあら、愛妻に謝っているよ。 彼女を一目見たその時から激しく苦しい恋の虜となったって、あんた何いってんの? マイコ?マイコって誰? 表紙に書いてある筆者の名前と違うよ! もうわけわからん。 わたし(じじい)のねちっこい恋バナとマイコがいかに素晴らしいかの描写は気持ち悪くて、これがまた長い 読みとおせず、 いったいこの本の正体はなんなのか、それだけが知りたくて最後まで飛ばし読みました。 オイオイとうとう船(シート総皮張り・濡れるぜ)にもナンパされたよ。 またじじいの独白だ。心臓病で酒が飲めない・・・とかなんとか。飛ばし。 そうしてわたし(マイコ(誰?))は、最後までじじいの恋心には気付かず、 壁崩壊寸前の東独で命がけの仕事をしているっぽい、愛する夫(ジャーナリスト)のことを案じ、 美しいアルプスを後にするのでした。 わたし(略)が列車のステップに足をかけた時、初日にわたし(略)を迎えにきたホテルの運転手(キャデラック)が、 真紅の薔薇の花束をもってあらわれます。 「送り主の名は存じません。しかし老紳士とだけ申しておきましょう。」
おわり
なんだこれー 最後まで読んでもわからない。 あとがきも読んだけど、十年数前にかいた紀行文とある。 やっぱり わたし=筆者 なんだ。 それぞれ名前を変えたとして途中までは鼻につく紀行文らしきものだったけど、 じじいの独白からは違うよ。 実際にあったことを小説風にアレンジしたとしても、妄想入っているよ。 怖い。 後書きをよく読んで見ましたら、 十数年前ふと時間ができたので、紀行文をまとめてみた。 ちょうど知り合いに、大出版社の偉いひと(こう書いてある)がいたので、原稿をわたした。 「よく書けているが当出版社向きではない。」と編集から返された。 考えてみると偉い人は営業関係の偉いひとだったので役にたたなかった。 ここでマーケティング主義の日本の出版界についてひとくさり述べる。 昨年、ふとこの原稿をひっぱり出してみた。 引きこまれて一晩で読んでしまった。 お金をだしてもいいから、これを誰かに読んで欲しい。っつーか本にしたい。 幸い引きうけ先が見つかった。 以上。 そこでわたくし奥付を見てみました。 新聞によく広告をのせている、 「あなたも本をだしてみませんか。」 の出版社だった。 仕度金を払えば、カスでない限り本を出してくれるところ。 そして大半を自分で買い取る仕組み。 奥付のページには、スリップが挟まっていた。 だからこれは、本屋で買ったものではない。 誰かが知り合いからもらったか買わされて、キレイなまま図書館に寄付したのだ。
これもしかしたら、本人は紀行文と思っている妄想自分素敵小説なのかもしれない。
二時間めいっぱい わたし(筆者=マイコ) の自分素敵自慢を読まされて、 やるせなく、腹ただしく、わたくしも誰かになんでもいいから自慢してやる、 その思いから昨日の日記ができました。 だから許してください。 今日のも長くてごめんなさい。
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