気はすすまないのだけれど それを書かないと他になにを思いついても書き出すことができないこと ってのがたまにあります。 だから仕方がないのでそれを書きます。
わたしは7年ごしの靴下をもっています。実際履いています。 ひとよりもかなり物持ちのいいほうではありますがこれは最たるものです。
2足ある7年もの靴下はもうかなりへばっています。 ゴムの部分はゆるゆるで縫い目はほつれています。 でも踵は破れていないし、まだちゃんと靴下として履けるのではいています。
白と黒一足づつのパンダ模様の靴下。 これは昔 入院していた友人のために買った靴下とおそろいで買ったものです。 7年前だってわたしはいい年だったけれど、十代からのつきあいの友人とは一緒に買い物にいくと、 少女のようにおそろいなものを買ったりする間柄だったからです。
関係ないけれど 出会った頃にできあがった関係性ってのはなかなか変わりませんね。 親子が一番そういう関係だけど、ほとんどの知人が二十年来の知り合いとかいう年になると、 変わらんな〜 とつくづく思います。
それでその友人はそのまま病院で死んでしまったので、靴下は結局かたみというか 想い出のよすが というようなものになったわけですが、 得に大事にしているわけではありません。 むしろ日常かなりヘビーローテーションで履いています。 気に入って買ったものだからね。 しかも丈夫なので稽古場にもはいていったりする。 だから白の方はつま先も踵も真っ黒です。 靴下の汚れってもみ洗いしても漂白しても落ちないね。 たんすから選んで履く時も、他の靴下となんもかわらん。 履いていても普段はなんとも思っていないのだけれど、 たまに、 「あ〜 靴下 パンダなんだ〜(笑)」 とひとから言われたりすると突然に、 病気で浮腫んだ彼女の足には小さなパンダの模様が凸凹と残ってしまったこと、 笑って ごめんね〜 と意識のないその足をずっとさすっていたこととかを思い出します。
それから意識して集中して、 病気になる前の彼女の 毎日一緒にゲラゲラ笑っていた頃の笑い顔を思い出せるかどうかやってみます。
ちゃんと思い出せる。
そのうち靴下も穴があくでしょう。 そうなれば捨てることも惜しくない。 いまはまだちゃんと履けるものだから持って、そして使っている。
想い出も靴下みたいに、楽しいのも辛いのも はじめしっかりした形があったものを 穴があくまで ちゃんと持って、そして特別でなくほかのもろもろのことと同じように使って、 やがて なにも惜しくはない と思えるようになればいい。
まだいまは惜しいけれど。
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