すこし前の話で恐縮です。 t.A.T.u タトゥ(少女が少女を愛する、という意味のロシア語の頭文字らしいよ)の来日とすっぽかし騒ぎの時に、新聞雑誌テレビ以外にもまあ、ネット掲示板などでメタクソ叩かれていたそうなんですが。 例えば、 ”ロスケは日本を馬鹿にしくさっとる!!!” とかね。
しかし。ロスケですよ。露助。いったい何時の言葉だ。 日露戦争? いや、江戸末期、開国の頃のことばではないかしら。
考えてみると、いま現在つかわれている日本語で、はっきりとある国の人を罵倒することばってないんだよね。心には根深い偏見や恐れをもっている人もたくさんいるだろうに、口に出すのはものすごいタブーを侵す感をもっているのね。思っていても口にださないから新語も生まれないし、かつてあったものも使い続けなかったから時代にあわせて変化しなかった。ほとんどが今聞くとものすごく埃っぽい。
開国以来なだれ込んできた新しい世界の把握のために、ことばをつくった。そこには利害があって、揺らぐ自意識を保つためなんとか優位に立とうという思いがあって。その時々で、よそものを平均よりも下層とされるものの呼称で呼んだんですね。 呼び方がきまっていると 誰もが感情をむけやすいもんね。憎しみも蔑みもその裏の怖れを隠したまま一言ですむ。考えなくてすむ。 アメ公 ロスケ チャンコロ チョン 侮蔑語に違いないんだけど、言葉遊びっぽくも聞こえる。語感は完全に江戸・明治の香りがただよっていますね。これ今の日本人の使う日本語じゃないでしょ。 まだパラノイア的に使いたがるひともいることばもあるけれど。普通の中学生なんかは、どれもなんのことだかわからないと思う。
当てはめることばが無いということはその観念が無い、ということだ、と無理やりにも言ってしまうこともできる。 心で思っているのに口にださない方が薄汚い その手の言葉をつかわなくても「○○人はダメだ、キライだ」と言えば同じだ などの意見もあるだろうけど、偏見があろうが実感だろうが「○○人はダメだ、キライだ」には「なぜならば・・・」が続く余地がある。意見・思想で収まる余地が。名詞になった侮蔑語にはそれがない。哀しいくらいに。 そして心でどう思おうと、さいわい他人には聞こえない。 小さな子供がひとに残酷なことばを投げつけるのはまずことばを聞いたから。その言葉を覚えたときに音の裏にある含み笑いや淫靡なものや優越を楽しそうなものと感じたから。その言葉を発した時におこる反応や刺激を知ってしまうから。 その後でことばのもつ背後関係や力関係を理解したと思い込む。そのことばで世界を把握したと思い込む。そこからの転換はとても難しい。
いまの子供には 人間を犬のような呼称で呼ぶ事がどういう意味を持つのか、犬畜生ということばも消えかかっているいま、なかなかピンとこないと思う。 なまぬるくてもいい。他愛のないハヤシコトバで偏った価値観を刷り込まれてしまうよりも、どうしようもなく甘ちゃんの、国とか人種のあいだの対立や優劣感やそんなものに大人になってはじめて出合ってポカーンとしているような やり手の国のもんに馬鹿だと言われるような そんな言葉しか持たなくてもいい。滅びてしまうかもしれない。けれど、いつまでも今のような世界であるかどうかなんて誰にもわからないんだもんね。過去とはまったく価値観のちがう世界になるかもしれないんだもんね。
匿名のパラノイア達は、鬱屈をあらわすのにあんなに昔のことばを使うしかなかった。 「よくもまあ こんなことばひっぱりだしてくるよなあ。」 と笑ったけど、そこがパラノイアのパラノイアたるところなんでしょう。生きていないことば、過去の、他人の観念を自分のものだと思い込んでいる。 パロディだとしてもちっとも頭つかってないしね。
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