ふんがあ、小さな声でいいまする。 赤毛のアン シリーズはわたしのバイブルなのです。 子供の頃は 夢 青春 恋 友情 結婚 子供 家庭 老い 別れ つまり 人生ってこんなかんじに美しくて、まだ自分は子供だからなんにも始まってないけど、これからぞくぞく 一つずつ扉は開かれるのだわ、と思っていたのです。
ですが、なあんも。 おかしいぜ。まず、夢はともかく 青春だよ。あったか?美しい青春。それってたった四人の演劇部か?つまんねえテレビドラマか?アングラ芝居か? 毎晩おじさんにお酒おごってもらってただけだったよ。 バンドか?いまもやってるよ。それって生涯青春ってこと? ちが〜う! なんか 海とか湖とか月光とかダンスとか散歩とか草原とかキラキラした場所で少女の頬は上気して唇はいつも微笑みのかたちで明日を語ったりするのが青春じゃなかったのか。
友情はともかく 恋と結婚と子供と家庭はどうなったんだ。崇拝者はなぜあらわれてくれんのだ。いつのまに何故 アンの世界の半分を形なす オールドミスの道に入りこんでしまったのだ。わたしは未亡人になりたかったのにぃ。
挫折。そして封印。プリンス・エドワード島にいってモンゴメリー博物館やお土産やさんでカントリー小物を買い捲るようなおばさんにはなるまい、といつしかアンの世界に背を向けました。 しかし、本に罪はない。久しぶりに読んだら やっぱり面白いんだもん。
一緒にいて、話したり、散歩をしたり、食事をしたり、空想にふけったり、一緒に計画をたてたり、お互いに感激の瞬間を分かち合ったり、・・・・・ホームをつくったりするのですわ。
と、アンが婚約中のギルバートへの最後の手紙で言っておりますが、子供の頃はエピソード以外の、こういう平の文はだいぶ読み飛ばしていたのですね。 でも、友情でも恋でも結婚でも アンが言っているような 誰かと日々のいろんなことを分かちあう 幸せ に憧れていたのではないかと思います。 それから 作中ではたくさんの人が アンの息子も 死んじゃうけど、死ぬことは怖いことではない キリスト教の天国観はおいておいても ただなにかを悔やんで死んでいくのはいかん、ということや 死なれたひとも泣いてもいいからいつかはしゃんと頭をあげて生きていかねばなあ なんてことも ふ〜ん そうなのかなあと読んでいたような気もします。だいたい 爺婆が元気で強かで面白い。
それから なんといっても食べ物がおいしそうなんだよね。
世界中の少女たちが愛読し 憧れたってことは 世界中のどこにもアンの青春世界はないのかもしれんが、一昔前にはあったんじゃないのか、とも思われる。 現代の青春はつまらんよう。
|