最新版のユーミンのアルバムがラジオから流れてきて、あああああ古いかんじ と寂しく思いました。21世紀のスキー天国サーフ天国を目指したそうな。 目指すな。目指すところがもう。コンセプトっていつのまにか古臭いことばになってしまっていませんか。変ないいまわしではありますが、ませんか。 イメージを売るにあたってターゲットを絞る、考えただけで痒い。一昔前の代理店仕事でいまだって生きてるけど 少しずつ音楽や映像はこの路線からずれていって上手いずれ具合しているものが 注目されているような気がします。 イイカンジにズレてるよね、ってところでしょうか。 ユーミンに思い入れはないけど、最新作は寂しいものを感じました、と。 歌をつくれるんだから別のひとに提供すればいいのに。あの人が歌う必然性がぜんぜんないのにパックで歌うからよけい嘘チック。この世のどこにも組してないひとが空ゾラしく愛だの恋だの歌ってるよう。 昔のユーミンは カラオケと鼻歌にぴったりです。うんと使い古されても持ちがイイ。
子供の頃 高度成長期の終わり頃で いつでも世界はインフレと戦っていたような印象がありまするが、当時 不思議に思っていたのは どんどんどんどん成長していって生産率が上がっていって世界中にものが行き渡ればあまってしまう、成長期がおわったあと、はどうなるんだろうか? ということでした。 人口はもう駄目ってところにくれば生き物的に自然に横ばいになるだろうけど、その時 生産レベルを調整して安定期というものができるのだろうか? でも 需要と供給がイコールになってしまうと、結局 物物交換的な経済になって儲けというものはうまれるんだろうか?誰でも持っていて 人より多く持っているということは意味をなすのだろうか? それで人間は満足できるんだろうか? それでも人は金を多く持ちたいと思うんだろう。誰かと比べたいと思うんだろう。 無理に成長を作り出すために いまある物をわざと壊したりするんじゃないか。
教科書の中に デフレということばはありましたが、概念としてでしか考えられなかったころは、まあ、このまま平和が続けば遠い未来にやってくるかもしれない問題だあ と思っていたものですが。 いま、世界的な規模でなくても 一部ではものが余っていて、中国がこのままバリバリ復讐のようにものを作って金をかせげば いずれ拡大していくと思うけど、物に付加価値をつけて売ろうとしてます。でもよっく考えれば 欲しい人はその物が欲しいのであって、付加価値は一瞬 お得だわ! と思ってしまうけど、そう踊らされるひとがターゲットなんだろうとは思うけれど、それもあまりに短いスパンでの考えでしょう。まだまだ なんて。いまは価値観の変わるサイクルさえも早くなっている。 いまの資本主義の先行した国々は文化的に早くも老年期に入っているよに思います。進化も革新も非常に細部へ向かい ひとは大きな変革を望んではいない。 物事への嗜好も徐々にですが 大きなものはシンプルに、小さなものは趣味的に緻密さを求める傾向に、誰でもが大きな枠を把握できて あとは好みに応じて好きなだけ凝りなさい そんな世の中を志向しているような気がします。 差別化は嗜好の方向性と 最終的には質になっていくんじゃないかと。もがいたあげくはあたりまえの結果になるのではないかと。 いま、苦しくても高い質のものを作りつづけることが、生き残ることなのではないか、その結果はそんなに遠くない将来に見えてくるのではないか、と思っているのです。 もちろん そんな安定期に至る前に 戦争やらなにやらで また始めからフリダシに戻る〜 になる可能性は大ですが。ずっと今まで通ってきた道ですし。
なにがいいたいのかっていうと いい物は高い 少ししかできない 大事にする でも無理な借金して買うのはオバカサン だんだんみんなオリコウサンになってくんじゃないかなあ ってことでした。
そうだ、槙原のりゆき?だっけ?あの人は復帰後 ジョージ・マイケルみたいですねえ。雰囲気も曲調もやはりカミングアウト後のジョージに似ているわ。
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