痒痛 ☆ 日記 
お酒と音楽と変人と。菫色の日々。

2002年11月02日(土) 若さだよヤマチャン だっけ?

少し前に お風呂上りの5分間のお顔で一日いられたらいいなあ、自分が18歳なような気持ちになれるから、てなことを言っていたようだけど、その時わたしは冷静ではなかった。前文に流されていた。ちゃんと考えずに書きました。
年相応なこと書いてみた。その時は気づかなかったけど、そういうことだった。

だって18歳の頃は 自分の若い容姿が気に入らなかったもんね。客観的にみてもやっぱり今の顔の方が好きだよ。ちょっと乾燥してたり笑い皺あったりするし目の下の隈がなにをしても消えないけど。若いってことは全てをOKにするわけじゃないよねえ。
赤ん坊の頃からたいした変化のない顔なのでなにも劇的な変化 前後 というわけじゃないけど、なんというか、10代の頃はもちろん鏡をみる自意識は十分たっぷりあったけど、それだからこそか 顔がうっとうしかった。中身は顔にでるね。

自分がなんというか、若いということに困惑していたような気がするなあ。
自分=若い女 の使い道がわからなかった。もったいないことをした。けど、それが一昔前の自意識のありすぎる女の子だったのかな。使い道をしっている 使ってる子もいっぱいいたけどね。
ああ、無駄な抵抗をせずに 使いたおしてみればよかった、とまーだアガサ・クリスティーを読みつづけていてそう思います。

自分 自分 自分 わたし わたし わたし というのは男女にかかわらず今の時代の呪縛ね。少し前の小説のなかの 若いお嬢さんは楽しいことや魅力的な男性のことで頭がいっぱいなことは あたりまえですよ それが普通ですわ とか年上の女性にニコニコされたり馬鹿にされたり 男性から やれやれまったく若い女の子というものはまったく手におえんよ なんて思われたりするような存在から 若い女だってちゃんとした人間です でもちゃんとした人間の見本なんてないからあれこれ自分探しに奔走している存在になって どっちがいいかっていったら うんと離れてみれば 後者のほうがいいようにも思うけど 本当にそれぞれ探せるのか疑問だし 探してみたら結局昔馴染みの人間ステロタイプに収まるのかもしれないし。
人間は一人ひとり全部違って それぞれがオリジナルで だから一生じぶんらしい本当の自分をもとめるのだ、に賛成したいけど、疑ってもいる。前半は気持ち的に賛成しておきたい。でも後半は そこにいるだけでオリジナルなのにそれだけでは駄目なのか?嘘つこうが飾ろうがそれもふくめてでいいんじゃないの?
一生不安なの?自分はこうだって安心しちゃだめなの?それって苦しい。

少し前のお話のなかの人間は 自分ってこうだ って自分も周りも承知した役割や居場所がある。「周りが」は引っ掛かりどころも多いし、「自分が」も本当に満足かってつっこみどころもある。
でも、満足なひとは満足だったし、ここじゃいやだってひとはいやだったんだろう。なにをあたりまえのことを言っているのかって そういう安心に満足なひともいたんだから 全部だめな社会ではなかったんだろうな と。

生ぬるい世界に唾を吐くぜ とことばにはしなくても 10代なら考えそうなことですだ。自分が若い女の子なのはわかってるの でも知りたいのはそういう場所にいない自分なの、とか思っていそうだ。ずるいようですが実際どんなことを考えていたかなんて忘れちゃったよ。おとなってずるいってのは本当ですね。

だからお風呂上りの5分間の 頬がうっすらピンクで肌水分たっぷりで、瞳が潤んでいて おお18歳! から思うのはいまの老嬢たるわたしがこれなら若い女ぢからを使うぜ という実際にはいなかった18歳の自分なのですね。ずるい!
ずるいからこそ 甘やかしてくれるなら甘えておけ 使えるものはみな使え 幸せ感を手に入れたければ くだらない自意識よりそっちのほうがいいんじゃない?
と他人になら言えるのです。18の頃の自分なんてもはや他人だよ。

昔ながらの言い方ですと、ああん わたしがあんた(お風呂上り自分)ぐらい若かったらアレもコレもしちゃうのに〜。 
でも これもいきおいで言ってる可能性大。うん 矛盾してるけど、人間年をとったくらいではそんなに変わらないよ。経験がひとを変える。考えるとたいした経験してないにょう。


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