| 2002年08月07日(水) |
翼の折れたエンジェル |
わたしはこの年にして 老いすぎてしまったのかな。
人間誰でも 傷や痛みを持って生きてると思うし、そういう人間にこそ魅力、興味を感じる。 みたいな、発言をたまに聞くよね。
汁たっぷりで、 ケッッッッッッッッ ! 甘い! 若い! 浅い! あんのね、傷を見せびらかすなんて ずいぶんね。 傲慢な若さって奴ですかい? 悪いけど しまって。
どっち。 いま 苦しいんだと、他人にわかるようにしかできない人が素直な愛すべき人間なのか。 そうかもしれない。けど、苦しくて崩壊するまで笑ってる人と、どっちが好きかは好みの問題。 子供が痛いよう、って泣く のと 青少年がどう生きたら分からない死にたい、ってのと 大人が人生ままならんよ、と愚痴るのと。 根っ子は 。
人間誰でも 傷や痛みを持って生きてる。誰でも。なら世の中には表にだすひととださないひとがいる。 芝居や映画や いわゆる表現にひとの痛みに真摯であろうとすれば、それは自分の 痛み にいきつくのじゃないのかな。痛みを抱く他人の誰のどこを取り上げるかは 視点として 「誰でも痛みを」の部分を棚上げしている場合が多いような気がする。 だからといって、この痛みは人間共通の、はよっぽど大風呂敷をひろげないとさ。 うそ ばっかり になっちゃうよ。たぶん でくくられたくないよ。 でも あなたの ならば聞こうじゃないの、とも思うよ。
老婆心でいいますと、 痛みを抱えた人間が魅力的だなんて 言葉の綾でも 聞きたくない。正直に こんな痛みが いまのわたしの表現したいことにぴったりきたのでピックアップしました。わたしのなかにも探ればあるだろうし、きっと多くの人にも 「ああ」って思ってもらえると信じる、って言えばいいのに。 かっこつけんなよう。
痛みのありかを探して 痛い作品を作るっても 「そうだよね、わかるよ」みんな心のどこかのスイッチに触られたような、共感かなあ。そう若人はその共感を感じることが必要なのかもねえ。 でも その先に「ありがとう」って一時的にでも昇華されるような作品を作れるかもしれない、って可能性に進んで欲しいんだ、おばさんは。 涙が止まらなくても 笑うことはできる。その笑みを浮かべさせられる表現者をわたしは尊敬します。 それがドキュメンタリーを送り出す 見えなかった痛み喜びを見せる 人々と 架空の世界を作り出す人々 との違いじゃないのかなあ。
今日は楽しかったのでもっとお酒を飲みたかったの。うちでもう一杯飲んでたら、こんなのでました。
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