Kin-SMA放言
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2005年01月06日(木) 愛(と友情と涙とヨダレ)のかまたり

きんきっずらばーに生まれて(いや、きんきっずが出現したのは、ぼくが生まれただいぶ後ですが)一度はタイトルにしてみたかった「愛と○○のかまたり」(≧∇≦)

昨年『大化改新』というドラマの製作発表があり、しかも主人公の中臣鎌足を、きんきっずと縁浅からぬ岡田准一君が演じるというニュースを耳にして以来、ずっとずっとず──っと、その日が来るのを狙っておりました(^^ゞ

祝・念願成就( ̄w ̄)



観ましたよ。『古代史ドラマスペシャル・大化改新』

ついでに(?)岡ちが出た『スタジオパークからおめでとう 第一部』も観ました。

最後にちょろっとヒデちゃんが出て、

「おぉ、岡田×小栗の美少年ツーショットも堪えられんが、やはりジャニーズ二大美形(←今勝手に決めました)の並びとなると、他の追随を許さぬ迫力があるな」

と、暢気に満足していたら、ヒデちゃんがじっくり取り上げられた方の『スタジオパーク第二部』を録るのを、すっかり忘れていた(T_T)←間抜け

思い込みか知らんが、同じ“美形”でもやはり岡ち、ヒデちゃんと小栗君とでは、若干色合いが違い、小栗君はやはり成宮(寛貴)や藤原竜也などと並んでいる方が似合う。

醸し出すニオイというか。

やはり岡ちからは“ジャニーズ臭”のようなものが(エ?)

まぁ、説得力のない意見ですけどね。



さて、本編ですが、第一部の後半あたりにちょっとかったるさを感じたものの、思ったほど退屈ではなかった。

ただし、さすがに観終わったぼくの第一声は、

「えぇえぇぅえぇえ〜っ?! まじ──っっっ?!」

であった(やはり?(−−;)

これが「大化改新」だと中高生の皆さんに思われたら、どうするの──っ?!(なんか、『綱吉』の時と同じような感想だな)

いや、“事実”はともかく、本人たちの“想い”がどうだったかなんてことは、永久に判りはしないですけどね。

ドラマだから、“事件”さえウソじゃなきゃ、どのように描いてもいいとは思うんですけど(×_×;)うーぬ

ついこないだ観た、柴田先生の『飛鳥夕映え』も、トンデモ脚本といやぁトンデモ脚本だったけど、それはタカラヅカのお約束みたいな感じで(甘い?)

「ウソだぁ(笑)」

とは思いながらも、

「視点を変えれば、こんな風にも描けるのか。さすが柴田先生、すごいなー」

と感心したものです(→

そして次に思ったことは、

「主人公、鎌足じゃないんじゃん」

でした。

入鹿だよね。(確認)

渡部篤郎の芝居力(完全に参りました m(_ _)m 率直に申します。彼の前では岡ちは赤子同然。現代劇の俳優としては充分実力派な岡ちだが、この手の作品の中ではあまりにも演技力が幼すぎた。なんつーか、軽量すぎるのである)に台本が呑み込まれてしまったのか? と一瞬思ったが、いやいや、台本的にも、想像していたよりかなり入鹿に肩入れした内容だったと思う。

「美しきものは正義である」「正義を慕う心は美しい」

というセリフがキーワードのように出てくるが、なんかこのドラマの描き方では、中大兄たちが入鹿を討つ事自体に「正義」があるのか? という疑問すら湧いてくる(単なる“権力奪還”にしか見えない)

親友だったはずの鎌足が入鹿を暗殺する苦悩を描くのが、まさにこのドラマのテーマだったから、どちらにも「理」があるように描くのに池端先生は苦心されたのだと思う。

でもそれが、あの「ありえない」ラストシーンを呼んでしまったわけか。

柴田先生みたいに、鎌足自身をそれまでの入鹿みたいな「国崩し」の悪役にした方が、バカバカしいくらいすっきりしたんだけど(それもNHK的にどうかと思うが(^^ゞ)

だから、鎌足はこれでもいいけど(本当は良くない)、入鹿が“いい人”すぎる。

やっぱ、もっと「殺されなきゃならなかった」ような人物に描くべきだった。

それは、“鎌足との友情を裏切って”山背大兄をだまし討ちしたとかいうことではなくて(←これが理由なら、今度は個人的怨恨が理由になってしまう)

入鹿が無意味な徴兵以外に大悪政を布いたという史実があったかどうか、実は勉強不足で知らないんだけど(歌舞伎の世界では、ありまくりだけどね/笑)、“一人に権力が集中しすぎたから”という理由でその人を暗殺したのなら、その仕儀は決して「正義」ではない。殺される人が、そういう罰を受けるだけの悪行を為してないと。

今回のドラマでは、ちょっとほのめかす程度でごまかしていたが、入鹿の一番の“悪行”は、皇極帝(宝皇女)とのタダレた関係であろう。これこそ“権力恣”の典型的行動。

この皇極帝が入鹿の死に際して、「ふん」と顔を背ける辺りの衝撃度は、もうちょっと入鹿とのカンケイを描いていないと、生きてこなかったのじゃないかと(←タダレ好み過ぎ!/叱)

意外といえば、ぼくは山背大兄に対して、もうちょっと情けないイメージ(毛人(蝦夷)にしろ、鎌足にしろ、誰かに利用されて立とうとして入鹿に討たれたのは間違いないにしても)を持ってた。聖徳太子の嫡子ということだけにプライドを持ってたぼんくらみたいな(柴田先生に影響されすぎ?)

あんな清廉な人物だったのか?(いや、真実は判らんけども)

でも、ゆーいちろー氏の芝居も、思った以上に良くて満足。あんなきめ細かな芝居が出来る人とは、正直言って思ってなかったので(←失礼)



さて、入鹿に裏切られて傷心の鎌足(←書き方がどうしてもタダレに・・・許されよ)は、次なるリスペクトのターゲット・中大兄皇子と出逢うわけだが。

しかし、この辺りまで来て、鎌足ちょっと幼すぎるように思うんですが(30歳のはずなので)逆に言えば、顔中ヒゲモジャなのに、ここまで若い岡ちの美貌が驚異!

実年齢では、岡ちと小栗君は2つ違い。でも、鎌足と中大兄は12歳も違うんですぜ!

確かに、学童時代の篤郎クンの若作りにはムリがあった(コラ)

でも、後半どんどん入鹿が魅力的な男になって行く中、役づくり上の困難さはあったとしても、主役としてのプライドをかけて、岡ちはがんばって“老け作り”をすべきであった。

中大兄と組んだ後の鎌足は、政治的にも戦略的にも百戦錬磨のキレ者として(元々、入鹿と並ぶ秀才ですからね)、後の天智帝を擁護するフィクサー的存在感を出さなきゃいけなかったと思う。

「請安先生の遺志を受け継ぐ者として」

と言った後に、中大兄と一緒に林の中を歩く後ろ姿は、下校中の小学生みたいだったぞ(×_×)

まぁ、今回のドラマでは、鎌足と中大兄はあくまで「正義」と「理想」のために入鹿を討ったんだけど、その背後には、毛人・入鹿父子との確執があった石川麻呂や、入鹿を煙たがっていた軽皇子らの自己本位な策略があった、みたいな描き方になってましたね。



岡ちをほとんど褒めてませんが、このドラマを本当に入鹿が主人公だと思って観ると、最後の方で入鹿が鎌足に「三島へ帰れ!」と言い放つシーンや、第一部の終わりの方でタケコプター木トンボを追いかけて走る鎌足の姿などに、

これ、岡田准一のカワイさがないと、説得力ないよね

と思いっきり納得できるのである(根拠なき断言)

入鹿にとって、鎌足の純粋さは、きっと「永遠の夢」だったのだ(T_T)

大人になって汚れなければ国を動かせないと知ってしまった入鹿にとって、どんくさくて、地に脚がついた生活が似合う鎌足は、「失くしてしまった憧れ」だったのだ(←言いきったぞ!


←☆\(−−;)こらっ



このドラマ、3年前放送の『聖徳太子』(主演・本木雅弘さま)から続いてるのよね、多分(脚本が同じ池端先生だし)

続けて観た方が良いのかー?(一応ビデオはどっかにあるはず)←気が進まなそう

ということは、何年か後には『壬申の乱』ドラマ化?(いいかも ( ̄ー ̄) ←何をモエている?



いやーしかし、仲代達矢氏を始め、原田芳雄氏、伊武雅刀氏などなど大人の方々、芝居が濃かったれすなー(^^ゞスゴかった

それと、オープンセットとはいえ、飛鳥や斑鳩、畝傍山の夕陽などの風景の美しさには、やはり感動しました。

良いよね、奈良(*^^*)←絶対“別”の思惑があるはず

朝の連続テレビ小説『あすか』の時も思ったんだけど、手が届くところに「歴史」ありまくりの中で育つことができるって、やっぱ羨ましいよ。




←変わり身速いな(ぼくが)



わぁ〜っ! ニシキの長セリフ(『渡る世間は鬼ばかり 新春二時間スペシャル』)に聞き入ってる間に、『どんなもんヤ!』の冒頭聴き逃した〜っ!(T△T)

本日のきんきっず度5%(涙)


ておどる 【2006年以降に書いた日記はこちら】てくてくミーハー道場