Kin-SMA放言
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2003年02月15日(土) |
“美少年”の条件(『ボーダーレスII』博品館劇場) |
今日は朝っぱらから緊張性頭痛(20年来のつきあい)に悩まされてしまったのだが、これしきのことで遊ぶのを中止するぼくではない(←何威張ってんだ)。洗濯、掃除、昼風呂(←これがいけなかった・・・)をダッシュですませて、博品館劇場へ。
『ボーダーレスII ガーディアン・エンジェルス』
このシリーズ、前回の座頭は寿ひずるさん(イーちゃん)だったんだけど、今回は、ぼくがヅカにはまるきっかけとなった元花組トップ・大浦みずき(なつめ)様。
なーちゃんの舞台は、退団後もできるだけ観ることにしているのだが、最近情報にうとくて、気がついたら終わってた、なんてのもあり(『マレーネ』観たかった/涙)、久しぶりである。
しかも、“踊るなーちゃん”は、ことさら久しぶりの気がする。
出演者は、女優(というより、女性ダンサーと言ったほうがいいのか?)7人こっきりで、元ジェンヌ4人+ミュージカル・ダンス界より3人。ぼくは高木ナオさんだけ初見。元“セーラー・ウラヌス”だそうだ。・・・さすがに『セーラームーン』は観てない、ぼくも(笑)
ストーリー自体は複雑な構成ではなく(近未来SFもの)、見所はなんといっても、7人のダンス(と歌)であった。
元ジェンヌは全員元男役だし、あとの3人もユニセックスなキャラの方ばかりで、登場する人物たちは、実は「男」とも「女」ともはっきり打ち出していない(ここに、『ボーダーレス』の意味の一つがある)。 なので、基本的には「愛」だの「恋」だのは出てこない。
だからダンスも、どっちかっつうとアクション系、ストーリーダンス系だった。
これも良かったのだが、彼女たちの本領発揮は何といってもACT.2の“ショー”であった。
「薔薇」をテーマにしたショーで(あれっ? 去年観たような気が・・・ねぇ? 雪組ファンの皆さま?/笑)、構成はほっとんどタカラヅカのショー(その、去年の雪組のショーとは違うよ)なのだったが、それを7人だけでやってしまったのもスゴイが、ぼくが見たところ、面白さの点でも遜色がなかったのもスゴイ。
やはりショーの出来を左右するのは、構成もさることながら、出演者のダンス力なのだなと、しみじみと再認識したのだった。
タカラヅカ男役の退団者のうち、芸能の世界に入る人の中でも、退団してからはきっぱりと“男”は演らない人と、“男役のイメージ”を残す人(退めてしばらくしてから“男”に戻ってくる人もいる)に分かれるが、ぼくは、少なくとも「ダンサー」は、男役の部分を残してほしいと思う。
歌はキーの問題があるし、芝居も「一声二顔」というくらいだから、“本当は女”の人が男女混合の芝居の中で違和感なく“男”を通すには、少年役ならともかく、難しいものがあると思う(←あっ!でも、ターコさんの『ハムレット』というとてつもない傑作があったな・・・。何にでも例外はある)
ダンスこそが(難しいことはわかんないが)、それこそボーダーレスが一番発揮されやすいジャンルなのではないかと思う。
だって、むちゃくちゃカッコいいんですもの、皆さん (≧∇≦)←結局それかよ
元ジェンヌじゃないお三方さえ、マニッシュな衣裳でビシビシと踊るそのお姿に「男前じゃあ〜vvv」と目がハートに。
黒エンビ(なーちゃんの黒エンビがまた見られるなんて・・・/号泣!)で総踊りになったボレロの「The Rose」と来た日にゃ、あの狭い博品館劇場の舞台に、はっきりと大階段が見えた!(ぼくの目には)
今からでも現役に戻れますよ、大浦さん・・・。明日大劇場の真ん中で踊ってても、きっと誰も驚きませんよ。なんて人だ、スゴイ、すごすぎる。
なーちゃんの退団理由の一つには「体力的な限界」てのもあったのだ。でも、これを見せられたら、そんなん納得いかない。おそらく、後進のため、というのが一番の理由だったんだろう(あと、結婚したかったらしい/笑)←なぜ笑う?! 失礼だぞ!!
デカダンなムードを漂わせた美女役も似合いますが、やっぱ年にいっぺんぐらいは、黒エンビ着て、ぼくらに目の保養をさせてほしいと思うのであった。
そして、退めたばっかりで未だ現役そのものな、たまお(楓沙樹)ちゃん。キザキザにきめて唄い踊った「バラのタンゴ」これも現役時代そのもの。さっきも書いたように、退めたばかりのジェンヌは、いったん自分をタカラヅカから切り離そうとするのが常だが、彼女は潔いほどそれがない。去年のヤン(安寿ミラ)さんのリサイタルでは女役(って、“女”じゃ!)もやっていたが、完全に男役のダンスもたくさん踊っていた。一つの空間の中で女にも男にもころころ変われるのが、ショーダンサーの特権なのである。色んなダンスを身につけて、楽しませてほしい。
そして・・・特筆したいのが、まや(蘭香レア)ちゃん。
見た目は一番女の子っぽい。ショーの中でも、唯一、“女性キャラ”の「バラの精」を演じていた(あ、なーちゃんも女性キャラは演ったか)。現役時代も、彼女はいわゆる「フェアリータイプ」であった。
なのに、何だろう。現在の彼女の蠱惑的なムード。前回のルシファーでも感じたのだが、彼女こそ「ボーダーレス」を体現する存在であると言える。
驚異的なジャンプ力を誇るそのダンス技術もさることながら(ただし、時にはテクニックに片よりがちになり、「新体操的」に見えるきらいもある)、そのたたずまいが何とも“美少年”ぽいのだ。
ACT.1でも役の上で自分を「私」と言っていたが、それが不思議と「女の子」になっていない。妙になまめかしい少年ぽいのだ。たとえて言うなら、萩尾望都のマンガに出てくる少年のような。
話が古くなって申し訳ないが、昔『1999年の夏休み』という映画があった。これは『トーマの心臓』を潤色したものなのだが、今でこそ、この耽美的な物語を本当の男優が演じても苦しゅうない時代になったが(いやー、初演を観たときには、スタジオライフがこんなに人気が出るとは・・・思ったよ/笑)、当時は、“美少年”は女が演じるものだったのだ。
正直言って、元祖耽美スト(?)世代のぼくらにとって、昔はこれを女に演じられるのも「カンベン」だった。
女が演じる美少年、というのは、男の美意識を押しつけられているような気がしたものだ。
「本物の美少年が出てくるまで、待ってほしい」と思っていた。
でも、結局観たんだけどね(笑)
で、案の定、がっかりしたんだけどね。
そうそう、『ベルサイユのばら』を“本物のフランス人”でやられたときのぶざまさに近いものがあった。
女の子が、女の子のまんま、衣裳だけ男物を着、セリフだけ男言葉を使っている画面を延々と見せられて、何ともいたたまれなかった。 (映像的には、感心するところもあったが)
ところが、出てくる少女役者(女優までいってない)の中に、一人だけ、「おっ」というのがいたのだ。
それが、深津絵里だった。
彼女だけ、他の少女たちと違っていた。 別段、特に芝居が上手かったとは思わない。 彼女だけ、いわゆる「少年の肢体」をもっていたのかも知れない。 (単に発育不良だっただけか)←おい だが、この映画に出演していた少女たちの中で、現在でも度々映画やテレビで顔を見るのは、深津ひとりである。
そこに答えがあるのかも知れない。
このときの、深津に抱いた「おっ」という感じを、まやちゃんを見ているとぼくは感じるのだ。
結局、「声」が決め手なのかもしれない。 (全然、深津と関係なかったかな) これは、地声が低ければ有利ではあるが、それよりも訓練がものをいう。 “男役十年”の格言には、やはり根拠があるのだ。
こうして、内容的には大満足の昼の観劇であったが、肉体的な辛さがだんだん激しくぼくを襲いつつあった。
前頭葉側頭葉の激痛に耐えきれず、次の場・赤坂ACTシアターに向かう前に、慌ててマッサージ屋さんに飛び込み、手当をしてもらったのだが・・・
以下、明日。
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