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1980年06月28日(土)

崇教真光と悪徳国会議員(5):村上正邦(a) No: 2369 [返信][削除]

投稿者:内部告発者X 02/11/17 Sun 19:05:43
崇教真光二十六周年秋季大祭(宇尾好委員長)
「真光」誌(崇教) 279号(1985年12月) 41-42頁
お祝辞 十月十三日 「救い主様、教え主様のみ意顕現」
参議院議員 防衛政務次官 村上正邦

 私は今日この荘厳なる秋季大祭二十六周年を記念いたしましての式典に参列させていただきましたことを心より御礼申し上げます。真に有難うございます。
 私がこの真光様とのご縁をいただきましたのは、今日私がお供して参りました、明治神宮の権宮司と申しますよりも、日本を守る会の事務総長であられます副島先生の導きでございました。
 ある会合の席で、「村上さん岐阜の高山にぜひ一度行ってらっしゃいよ。あそこには天地創造の神様をお祀り申し上げる大変な御神殿が建立されたんだよ。そしてまた教え主様がとっても魅力的なすばらしいお方だから、参拝をお願いし、そしてお目通りをお願いしたらよろしいよ」と、そうしたご案内を副島先生にいただきました。
 ぜひ早い機会に参拝をしたいなあ、と思っておりました。その念願がかないまして、六月十日わざわざ、副島先生が明治神宮の総務部長をなさっておられます外山さんに、私の案内役をしていただきまして参ったわけでございます。
 そして、私は忘れることもできません、教え主様の本当に終始にこやかでご慈愛深いご尊顔で、心温まるご接待を賜りましたこと、本当に有り難うございました。心うたれる思いでございました。心洗われる思いでございました。本当に高いところでございますけれども、心から御礼を申し上げます。有り難うございます。
 思いますれば、救い主様が「今の日本はダメになってしまう。物質万能、日本人の心はいったいどこにいったのか。いまこそ神仏を信ずる宗教者が団結しなければならない」と申されて、日本を守る会を創立なさいました代表発起人でいらっしゃいました。この創立には本当に心を尽くしてくださいました。
 私は当時国会議員ではございませんでしたが、この日本を守る会の国事対策局長を命じられまして、私も救い主様のお心の万分の一でもと思いまして、一生懸命お手伝いをさせていただきました。
 そうしたご縁もございまして、救い主様、教え主様の下で活き活きと、伸び伸びと、幸せをかみしめてその日その日、毎日毎日を送っていらっしゃる世界の国々から沢山ご列席なされておられる皆様とお目にかかれたのだなあと、そのご縁に今沁々と感謝を申し上げさせていただいておるところでございます。
 お話をうけたまわれば、今年は陛下ご在位六十年の大祭を十一月の十三日武道館で日本を守る会が主催をいたしまして、開くことになっておりますが、そのご在位六十年のみ祭りにも沢山今日ご列席の皆様方が来てくださるということをお聞き申し上げております。
 今も皆さんと一緒に神の国、天意顕現のというお祈りの言葉がございました。あのどう猛な狼とあの優しい仔羊が共に草をはむ、地上天国、神の国を顕現するために、私も皆さんと一緒に力を合わせて今後、働かせていただきたいと決意を述べさせていただきます。
 教え主様、真に有り難うございました。

朝日新聞 1986.07.30 東京朝刊 2頁 2総
動静(29日)
 中曽根首相【午前】9時20分、公邸に岡田恵珠・崇教真光教え主、村上正邦参院議員。
10時8分、官邸。11時2分、民放テレビのインタビュー番組

 毎日・読売新聞にも同じ記事の記載があったことを確認している。(公立図書館で閲覧可能である。)

(解説)
 故玉置和郎参院議員の秘書だった村上正邦は、昭和55年に生長の家の全面的支援を受けて参議院比例代表区に初当選し、中曽根派に所属した。同時に、生長の家の職員だった小山孝雄は村上の公設秘書となった。ところが昭和58年の参院選で生長の家推薦候補が比例名簿の下位となり落選してしまった。このため「生長の家政治連合」は解散し、生長の家は政治活動から撤退することを決定した。バックを失った村上は、KSDや崇教真光への接近を図ったわけである。
 昭和61年の衆参同日選挙で村上は2選を果たしたが、崇教真光は相当協力したようで、恵珠師と中曽根総理との面会が選挙後に実現した。トップ秘書の小山が、おそらく村上の鞄持ちとして公邸に同行しただろうということは、容易に想像できる。
 なお、「日本を守る会」は「日本を守る国民会議」と統合し、平成9年5月30日に「日本会議」となった。
http://www.nipponkaigi.org/

「日本会議」を応援する「日本会議国会議員懇談会」設立時の役員は次の通り(「日本の息吹」七月号より)
(平成9年5月29日設立、加盟議員204名)
会長 島村宜伸(衆議院議員)
発起人衆議院 
 小渕恵三 葉梨信行 森喜朗 中尾栄一 綿貫民輔 中山太郎 谷川和穂
 (以上、自由民主党)
 小沢辰男(新進党)
 奥田敬和(太陽党)
発起人参議院
 井上裕 村上正邦 倉田寛之 上杉光弘 鎌田要人(以上、自由民主党)
 永野茂門(新進党)
(http://www1.jca.apc.org/aml/9807/9176.html)

正論98年9月号参照


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崇教真光と悪徳国会議員(6) :村上正邦(b) No: 2370 [返信][削除]

投稿者:内部告発者X 02/11/17 Sun 19:06:23
崇教真光三十二周年秋季大祭(朝熊俊文委員長)
「真光」誌(崇教) 1991年12月号 23-24頁
お祝辞 「神のみ声を聞く」  自由民主党総裁 宮沢喜一
              自由民主党参議院議員 村上正邦

 私、この大祭にお参りに参上いたします時に自由民主党総裁・宮沢喜一より、メッセージを頂いてまいりましたので、代読をさせて頂きます。
(中略)
 教え主様、真におめでとうございます。
 この機会をお借り致しまして、私事ではございますが、一言お礼を申し述べさせて頂きますことをお許し願います。
 教え主様のお蔭をもちまして私は、この八月に参議院自由民主党国会対策委員長に就任させて頂きました。来年三期目の改選を迎えるものでございますが、二期途中での参議院国会対策委員長就任は、参議院自民党はじまって以来のことであるとの光栄をかみしめながら、与野党逆転の参議院にあって政権政党としての筋を通し、参議院の良識と叡智をもって国家国民のために全身全霊を尽くしてまいりたいと決意を新たに致しております。
 来年の参議院選挙比例代表区において教え主様の御推薦を頂いておりますことに改めて心から、感謝申し上げます。教え主様の御愛念にお応えすべく、御教示の愛和の世界、神人一体、神人合作の世造り人造りを国政の場において、自らの心を清め魂を鍛えて、誠心誠意尽くしてまいります。
 神組み手の皆様の御支援を心からお願い申し上げ、御礼のご挨拶にかえさせて頂きます。有り難うございました。

(解説) この年の秋季大祭の時点では、宮沢喜一は自民党総裁となったばかりで、まだ首相には就任していなかった。翌1992年の参院選で村上は三選を果たし、労働大臣に就任した。小山は労働大臣政務秘書官となった。


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