エンターテイメント日誌

2004年06月29日(火) スカーレット・ヨハンソン二題 <後編>

前回の日誌よりの続きである。

「ロスト・イン・トランスレーション」の評価はC+。まあ、観ていて退屈はしないが大して面白くもないといったところ。

フランシス・フォード・コッポラは脚本家時代にルネ・クレマン監督の大作「パリは燃えているか?」やアカデミー賞を受賞した「パットン大戦車軍団」を書いた。そして監督に昇進してからはご存じ「ゴッドファーザー」や「地獄の黙示録」など製作費が豊潤な話題作をものにした。つまり彼は娯楽映画の王道を一直線に歩んできた人なのである。しかしどうもその娘のソフィア・コッポラは、そういうエンターテイメント路線とは無縁で、あくまでも低予算のインディーズ系を突き進んでいるという印象が強い。親と子でこれだけカラーが違うというのもなかなか面白い。

「ロスト・イン・トランスレーション」では手持ちカメラでトーキョーを自在に活写している。東京タワーを車窓から眺める場面が多いので、なんだかエッフェル塔が大好きだったフランソワ・トリュフォーの映画、とくに「大人は判ってくれない」を想い出した。そう、ソフィアの体質は極めてフランスのヌーベルバーグの作家たちのそれに近いのだ。余談だがトリュフォーは引っ越し魔だったが、その住居からは常にエッフェル塔が望める場所だったそうである。「ロスト・イン・トランスレーション」の物語を手短に要約すれば、スカーレット・ヨハンソンの側から言えば<夫は判ってくれない>だし、ビル・マーレイの側から言えば<妻は判ってくれない>になるだろう。煎じ詰めればそれだけの内容なのだ。異文化都市で感じる孤独感・寂寥感というテーマなら「インドへの道」や「シェルタリング・スカイ」などの例を挙げるまでもなく、今まで繰り返し先達の映画が描いてきたものだし、在り来たりという気がして仕方ない。トーキョーの描き方もただ現在のありのままの東京が映っているだけで、たとえばリドリー・スコット監督が「ブラック・レイン」において大阪をあたかも「ブレードランナー」に登場する近未来都市のように異次元空間へと転化したような才能は残念ながらソフィアには欠如している。だから僕にはこの陳腐な物語が米アカデミー賞で脚本賞を受賞したり、欧米でやたら映画の評価が高いのが納得がいかない。過大評価としか想えない。カメラのピントがしばしばボケるのも気になった。ちゃんとプロの仕事をしやがれ!

この映画でのヨハンソンも確かに可愛いのだが、「真珠の耳飾りの少女」と比較すると魅力は半減。人妻役というのも似合っていない。彼女は2005年に公開予定のフィルム・ノワール「ブラック・ダリア」への出演が決まっている。原作は「L.A.コンフィデンシャル」などで名高い暗黒小説の帝王ジェームズ・エルロイ。監督は「アンタッチャブル」「ファム・ファタール」など映像の魔術師ブライアン・デ・パルマ。こんな魅力的な組み合わせならいやがうえにも期待が高まるのを押さえることができない。ヨハンソンがさらに成熟した大人の女優としての魅力を発散してゆく様を今から愉しみに待っていよう。


 < 過去の日誌  総目次  未来 >


↑エンピツ投票ボタン
押せばコメントの続きが読めます

My追加
雅哉 [MAIL] [HOMEPAGE]