エンターテイメント日誌

2003年12月04日(木) レボリューションズは何故退屈なのか?

ウォシャウスキー兄弟は漫画とジャパニメーションおたくであり、大友克洋の「アキラ」が大好き。さらに「マトリックス」の企画は押井守監督のアニメーション「攻殻機動隊」の表現法を実写で再現したいという発想から始まっという事実とは余りにも有名である。また「マトリックス」の世界がいかに「新世紀エヴァンゲリオン」に似通っているかについては5/316/7の日誌で詳しく論じた。で、大友・押井・庵野の模倣をした挙げ句の果てに「レボリューションズ」のクライマックスでは「風の谷のナウシカ」になっちゃうんだから呆れ果てた。だって王蟲(オーム)の触覚が伸びてくるんだゼ!?我が目を疑ったね。いや、オマージュとかリスペクトなどといった綺麗な言葉で誤魔化せるレベルじゃもうないよ。最後の砦=宮崎アニメまでパクった日にゃあ、あんたら節操がなさ過ぎると言われても仕方ないんじゃないの?ネオの姿が十字架上のキリストにだぶる場面はまたまた「新世紀エヴァンゲリオン」の猿まねだし。最早、畜生道に墜ちたな。

このシリーズの最大の魅力はバーチャル・リアリティの世界での超現実的なアクション場面である。たしかにあのマシンガン撮影という手法は画期的だった。しかし、「レボリューションズ」のアクションの主体は現実世界のザイオンで繰り広げられる。結局自らその最大の武器を放棄したのである。だから単なるSF戦争映画になってしまって、画面の殆どがCGで覆い尽くされたアクション・シーンは「スター・ウォーズ」のクローン戦争の場面と大差なく、極めて退屈である。人間さまの兵器は完全に「エイリアン2」に登場するパワーローダーの二番煎じだし。アホくさ。

それにあのラストは何??結局問題は何も解決してないでしょ。人間とマトリックス=コンピューターとの戦いは休戦状態になっただけで、マトリックスが破壊されない限りエネルギー源として<人間電池>が必要なんだから。両者が共生できる筈ないじゃない。また振り出しに戻っただけ。なんだか観客を馬鹿にした物語だ。

「リローデッド」に出てきたネオの前に5人の救世主がいたという話も「レボリューションズ」では無視され、ネオの超能力やエージェント・スミスがマトリックスの世界のみならず現実世界にまではみ出してくるというのも無茶苦茶な話。ウォシャウスキー兄弟さんたちよ、そりゃいくら何でもルール違反だろ?SFにはSFなりの仁義というものがあるだろうが。

結局大風呂敷を広げたまま、何も収拾をつけないで無責任に放置したという意味においてもやはり「マトリックス」という作品は「新世紀エヴァンゲリオン」そっくりだったという訳である。


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雅哉 [MAIL] [HOMEPAGE]