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2003年08月02日(土) ■ |
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◆続き【第10回世界バレエフェスティバル】 8/1・8/3分、《Aプロ》 ギエム、ルグリ、マラーホフ、ジル・ロマン、ステパネンコ、他 |
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>前日の頁の続き...
◆「アダージェット」 〔ジル・ロマン〕 振付:モーリス・ベジャール、音楽:グスタフ・マーラー
もう、感動しまくりで、勝手に色々な感情が湧き上がってきて、どう表現してよいやら…。 ジル・ロマンの踊りを観ていながら、心は様々なところにトリップしてしまう不思議な感覚。 ベジャールが意図して作った内容など詳しく知りませんでしたが、後でパンフの解説を読んだら、 《暗い夜の河を、さざなみがきらきら光を放ちながらたゆとうような、哀切に満ちた幻想的な音楽にのせて、死に向かい合った男の孤独が描かれる。禁欲的で内向的な踊りが、人間の生の悲しさをいっそう際だたせる》だそうです。生と死を連想したのは、そう的外れでもなかったのかな...。
私が感じたのは、生命を終えようとしている、ある一人の人物が、最後の場面で走馬灯のように過去の自分、苦悩だったり、怒りだったり、こうすれば良かったなどと悔やむ部分が、体感としてあたまの中に浮かびあがっては消える。過去には戻れぬ絶望…。若さへの渇望。命の重み。灯火が消え去ることの孤独…。葛藤をひとしきり味わった後に気づく、大いなるものへの感謝の心。
そしてあの官能的な音楽からして、どうしてもヴィスコンティの映画『ベニスに死す』を思い出してしまいます。 あの映画も、手を伸ばしても届かない“美”や“若さ”への憧れを、耽美的で残酷なかたちで描いていますが、どこか陶酔してしまう世界ですね。
それと、天上へと指先を伸ばすポーズは、レオナルド・ダ・ヴィンチが生涯、死ぬ時まで手放さなかった自作の絵画、【洗礼者ヨハネ】を思い出してしまいました。レオナルド自身の若い頃の自画像だとも言われていますが(ハッキリと断定は出来ませんが)、美しい若者の姿をし、人差し指を天上に向けているその姿、甘美なその表情といい、“美”、“若さ”という意味で何だかダブって見えてしまいました。
最後にジルが手のひらに掴み取ったものを、フゥと息を吹きかけ飛ばすようなしぐさがありましたが、私は、死に対して最後にすべてを受け入れ、生命の砂粒をそっと宇宙に返し、心静かな境地になる。 そして、壮大な宇宙の広がりの中では、人の人生など砂粒くらいに小さいかもしれないけれど、星屑のように煌いてる尊いもの...。 そんな風に感じました。
◆「ラ・バヤデール」より 〔ガリーナ・ステパネンコ&アンドレイ・ウヴァーロフ〕 振付:マリウス・プティパ、音楽:ルートヴィヒ・ミンクス
なんて美しいのでしょう。ロシアバレエの芸術性を真摯に見せてくださいました。 大変丁寧でしたし、現れただけで、存在感と踊りの美しさにウットリしました。 ステパネンコは派手で強めのキャラが似合いそうと勝手にイメージしていましたが、こうして見てみると、しっかり丹念にもうこの世のものでない「ニキヤ」をしっとりと表現されていましたね。 あの真っ白なチュチュ姿の似合う事!
ウヴァーロフはもう何年間のボリショイのトップとして活躍していますが、憂愁のキャラでも、力強いキャラでも何でも美しく魅力的に演じていて、その都度素晴らしいと感じてしまうダンサー。 今回も、“お祭り”を意識することなく、いつも通りの迫力あるクラシカルな世界を見せてくれました。 彼が踊ると舞台が大変狭く見えてしまいます。いかにもこれぞ正統派バレエという感じで、他の色々ひしめくダンスの中にあっても、たしかな強さを印象付けました。
◆「優しい嘘」 〔シルヴィ・ギエム&ニコラ・ル・リッシュラ〕 振付:イリ・キリアン、音楽:クラウディオ・モンテヴェルディ・カルロ・ジェズアルド、グレゴリオ聖歌
全く楽器音の無い、人の“声”だけを使った音楽。紫と黒のフィットした衣装に、暗い照明の中に浮かび上がる2人の身体の美しさは、それだけでも“詩”となり、直接観客の心に届いてきます。 しかし、こうも沢山のダンサーをたてつづけに観てきましたが、やはりギエムの体形は驚異で異質。 あそこまで研ぎ澄まされ、磨きをかけあげた根底は、努力以外ありえないでしょうね。
彼女の古典ものは表現において感動できた事は無いけれど、こういった作品は本当に肉体が雄弁に語ってくれて感動的でした。 ニコラとのデュエットはぴったりで良かったと思います。 2人のそれぞれの単品を見たくなってしまいました。
◆「ドン・キホーテ」 〔バルボラ・コホトコヴァ&イナキ・ウルレザーガ〕 振付:マリウス・プティパ、音楽:ルートヴィヒ・ミンクス
コホウトヴァはマラーホフのグループ公演以来でしたが、まず身体がスッキリして落着き感が出てきた印象。今回は黒と白を基調とした衣装。この方はいつも素敵なものを着てきます。 しかし、今回のフェス、「ドン・キ」「海賊」と何か雰囲気に合っているのかちょっと疑問。たおやかな演目を、どちらかに入れて欲しかった。 踊りは、きれいで悪くはないが、フィナーレを飾るにしては派手さはなくて順番を入れ替えて、のびのびと踊らせてあげて欲しかったな。 ソロは、キトリのヴァリアシオンでなく、途中に挿入される1st友人ヴァリアシオンでした。なぜ? 彼女は金髪のお行儀良いキトリといった印象です。(ギエムの後、よく頑張ったね…)
プロフィールでは、来年よりボストンバレエ団で踊ると書いてあったが、この前ミュンヘンに移籍したばかりのようだけど、どうなっているのかしら?
ウルレザーガをまじかで見たら、プロフィール写真と似ていない。(どちらにしてもあまり好みではないが…スミマセン) テクニックもあるし、安定しているが、手の表情に気を使って欲しかった。 指先があまり美しくない、それとも大きすぎるのかなぁ…。 迫力はありました。 しかしつくづく最近のロイヤルバレエ団て、個性や国籍、体形が全く違うダンサーを取り揃えていますね。
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最初に「Aプロ」を見た時、何だかスッキリしなくて、もっとすごいものを沢山観られると思ったのに、物足りなさを感じてしまいました。 ですが、2度目に見た時は、それぞれダンサーの踊りも、演目の面白さもクリアに伝わってきて、舞台は日々違うものということを改めて感じました。 それと席位置により、表情が見えると見えないというのも、印象が違うように感じる大きな要素ですね。 今回、途中からプログラムの順番が変わりましたが、後も方が盛り上がったように思います。 後の「Bプロ」はどんな感じでしょうか。まだ楽しみは続きます。
*ちょっと関係ないですが、フェス内容を、たまたま昔のプログラムと比較してみたら、「第8回」のソワレは17時半開演、終演は21時55分だった。休憩時間も「5分、15分、5分だけ」とはすごかったなぁ…。 今年は18時始まりで21時45分。休憩も余裕あったしね…。 そういえば、フェスって“長い”というイメージあったような気がする。 ということは、上演演目が減っているんですね。観客も以前の方が過酷だったようで...。 それよりも前はどんなだったのでしょうか?
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