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■■ 大掃除
2003年05月05日(月)
今年は飛び石だったせいか所謂「ゴールデン・ウィーク」という感じはしなかったけど、逆にゆっくり出来たのでよかったと思う。
連休最後の今日は、実家の自分の部屋の大掃除をした。小さい頃から引越しを経験していなかったのでとにかく古いものまでが残っている。古くて懐かしい写真や書き物を見つけるとついつい見たり読んだりしてしまって作業が中断される。ちょっとした走り書きなどでも、自分で書いたはずなのに、今その環境(そのメモを書いた過去の自分が置かれた環境)にないためか、それは別の人間が書いているようで面白い。不思議と全く記憶になかったりすることもあり、当時の自分の気持ちを推察して楽しんでみたりする。
今日発見したのは、学生時代にノートに走り書きした日記風の文章だった。それは、マタイの福音書5章とルカの福音書6章から有名な「山上の説教」からの引用で、「あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。上着を奪い取る者には、下着も拒んではいけません。すべて求める者には与えなさい。奪い取る者からは取り戻してはいけません。自分にしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしなさい。自分を愛する者を愛したからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。罪人たちでさえ、自分を愛する者を愛しています。(中略)自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。(中略)赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。」という一節が延々とノートに書き写してあった。どうもかなり落ち込んでいたようでその前後に重い内容の散文が書かれていたのだが、その理由に記憶がないのでとても気になってしまった。不思議なもので、嫌な記憶というのは楽しい記憶に比べて忘れ去るのが早い。それは多くの辛酸を嘗めながら生きていかなければいけない人間に神様が与え賜うた治療薬なのだと思うけど、それによって「昔は良かった」と美化された過去を懐かしんで前に進めなくなるのはその薬の副作用なのかもしれない。私も昔の写真を眺めながら「ああ、あの頃はよかった」と老人くさく感慨にふけりつつも、そんな走り書きを見つけるといつの時代も「現在」が一番大変なのだよと長老のように悟るのであった。
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