ヒトリゴト partIII
 Moritty



京都議定書について一考

2008年03月13日(木)



白木蓮の蕾がずいぶんと膨らんできた。日差しにぬくもりを感じ、春風のにおいをかぐと何となく気持ちがはずむ。冬の寒さが厳しければ厳しいほど、春の訪れが待ち遠しい。今年は近年にしては極寒の冬だっただけに、ほころびかけた蕾を見た時の喜びもひとしお。桜の開花も早まったみたいだし、今から楽しみだ。四季のある国に生まれて良かったとつくづく思う。地球温暖化で日本が亜熱帯の国になってしまったら悲しすぎる。(最近の日本の夏はスコールのような雨が降るし、すでに亜熱帯化しているけど)

今日発行のR25を見ていたら、京都メカニズムについての説明が掲載されていた。日経新聞にも、CO2排出枠がついた商品が販売されることになったと一面に書かれている。温暖化対策は、毎日関連記事を見ない日はないほど日常的な話題になってきている。記事を読んでいると、最近ではポスト京都(京都議定書で定められた2008年〜2012年以降の枠組み)に議論はシフトしているようだが、そもそも京都議定書で定められている目標が期限内に達成できるかはまだ不明瞭のままだ。政府はあくまでも企業の自主行動計画や省エネ対策、間伐による森林整備や美しい森づくりといった国民運動の展開等々で何とかなると、少なくとも対外的には言い放っている。それに、京都議定書は条約であって法律ではないので、とりあえず京都の約束機関を乗り越えればなんとかなるんじゃないか、アメリカだって批准してないし、日本も努力しているのだという態度さえ見せておけばなんとかなる、という妙な楽観論が見て取れる。

しかし、なんとかなるというのは間違っていると思う。京都の約束期間が終わっても、温暖化防止に向けた世の中の流れは変わらないだろう。京都議定書は、環境といったある種無限で誰にでも平等に与えられていたものを、有限であり、お金で買うものに変えてしまったという点で、革命的な意味を持つ。誰もあえて考えていないかもしれないし、猛烈に反発する学者もいるかもしれないが、京都議定書を批准したということは、環境の有償化、延いては商品化に国として同意したことと同義である。これは、ポスト京都になっても変わることはないし、EUの動きを見ていると、加速・進化すらしているように思われる。

洞爺湖サミットに向けて、今、日本政府はものすごいスピードで議論を進めているようだが、大切なのはサミットが終わってからの実行力である。最近は庭先の利益ばかり考えて長期的観点から物事を考えられない政治家が多いので、サミット開催時に恥ずかしくないように、とりあえずの形式だけ整えている「ポーズ」なのかも、とうがった見方をしてしまう。でも、みんなそんなに馬鹿じゃない。肝心なのは、それをどのように実行・実現していくかであり、サミット以降が正念場なのだ。省エネ技術レベルは世界一である日本がここで真価を発揮し、イニシアチブを取って進めていくべきだと思う。


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