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夢の図書館新館

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-- 2003年11月11日(火) --

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『ピーター・パン』その2

子ども部屋からの冒険、その続き。

『ピーターとウェンディーのすれ違い』というのは、 男と女の『夢の見かた』の違いだと書いた。

と同時に、この奇妙な物語は、親と子のすれ違いと 理屈を超えた結びつきをも描いている。 『お母さん』と徹底的にすれ違ってしまったのがピーターならば、 ウェンディーをはじめとするダーリング家の3人姉弟は、 夫婦関係はすれ違っていても、受け入れてくれる親をもった 幸せな子どもたちである。

つまり、彼らは、親として、かけがえのない『子』を 受け入れ、きちんと仕事をするからというので、 犬のナナを『乳母』としても受け入れる人たちなのだ。

「ただ考えていたんだ、」 ピーターは、少しこわごわ言いました。 「ぼくがみんなのおとうさんだってことは、 ただの作りごとだねえ?」 「ええ、そうよ。」 ウェンディーはしかつめらしく答えました。 (/引用)

ピーターの感じた不安は、大人になりたくない少年の恐怖が 言わせる、現実と空想の区別がつかないピーターだけの言葉だろうか。 しかし、考えてみれば、世のなかのことは、すべて 『つもり』のなせるわざと言いかえてもいいのだろう。 『生まれた』と思い込み、『私』という人生を背負って、 名前そのものになって生きているが、これも別の次元から見れば、 『生きているつもり』なのかもしれない。 生まれたときから世話されているから、『親』。 お腹をいためて産んだから、『わが子』。 般若心経の『一切空』ではないが、世界のすべてが幻であっても、 そのなかで私たちは一心に自分の役割を演じ続けている。 『お金』だって、ただの紙きれや金属の塊であるものが、 それさえあればたいていのことは解決する、という『つもり』に なることで、経済を循環させている。 『愛している』には勘違いもあるかもしれないが、 『受け入れる』という態度には、無条件の永遠性が見え隠れする。

『ただの作りごと』、つまりピーターの好きな『うそっこ』と、 私たちが信じきっている『つもり』のあいだには、 いったいどれほどの違いがあるというのだろう。

ピーターとほかの子どものちがうところは、 みんなは「うそっこ」だということを知っていますが、 ピーターにとっては、「うそっこ」と「ほんもの」とは、 まったくおなじなのです。これが時々、みんなを閉口 させるのです。(/引用)

知っていても、いつのまにか『うそっこ』と『ほんもの』を 人はまぜこぜにしてしまう。 夢の島・ネバーランドに住んでいる海賊も、インディアンも、 迷い子の男の子たちも。 みんな、それぞれの役割を受け入れて殺し合いまでするのだが、 ふとしたきっかけで、役割はゆらぎ、逆転することもある。 ちがう人生に、すりかわって夢を見るときもある。 思いもよらずしのびよった影に、自信を吹き消される瞬間も。

私達が『今』を生きて、そして死んでいったとき、 死者はただ忘れ去られてゆくのだという作者のあきらめもまた、 ページの片隅に、寂しさをにじませている。 妖精ティンカー・ベルの粉をかけ忘れたために、 そこだけ飛べなくなってしまったのだろうか。

そしてまた、語り手は、ピーター以外のだれも、 不当なことをされて期待を裏切られ、傷ついた子どもが、 最初の痛手から立ち直ることは できないのだとも言っている。 ピーターだけは、『忘れる』ことで、それができるのだと。 そこが、ほかのぜんぶの子どもたちと、ピーターの 本当の違いなのだと。 (マーズ)


『ピーター・パン』 著者:J・M・バリ / 絵:F・D・ベッドフォード / 訳:厨川圭子 / 出版社:岩波少年文庫(新版)2000

2002年11月11日(月) 『ビロードうさぎ』
2000年11月11日(土) ☆ アメリカ大統領選

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