国旗掲揚台事件があってから何日か後、ぼくはバイトを辞めた。 別にクビになったわけではなく、次のバイトの採用が決まったからだった。 でも、嫌気がさしていたのは確かだ。 結局警備のバイトは8月から9月の中旬まで、競艇の開催日が1週おきにあるため実質3週間働いたことになる。 やる気のなさから抜けきれなかったために、このバイトは何も得るものはなかった。 また、浮いた存在になってしまっていたせいか、人間関係も築けなかった。
さて、このバイトを辞める前に、ぼくはあるところの面接を受けていた。 「北九州市政だより」で募集していた中国展のバイトだった。もちろん市の仕事だった。 期間限定だったため始めは躊躇したが、とりあえず受けてみようという気になったのは、先に書いた通り警備のバイトに嫌気がさしていたためだが、それと同時に警備会社の面接に受かった時の感触を忘れないうちにもう一度味わいたかったというのもあった。 つまり勝ち癖をつけたかったのだ。
面接には汚いなりをしていった。 サンダル履きで、ジーンズを捲り上げ、首にはタオルを巻いて面接に挑んだ。 面接は5人単位で行われた。 一人一人に質問をしていった。 ぼくへの質問は「体力がありそうですねえ」だけだった。 ぼくは「はい・・・」と言っただけだった。 次の人へ質問は移り、およそ10分ほどで5人の面接は終わった。 他の人への質問はぼくよりは長かった。
おそらく落ちただろうと諦めていたら、8月末に採用通知が来てしまった。 まったく、5月に受けた26回の面接はなんだったんだろう、と思わずを得ない。 ぼくはこの時から現在に至るまで、バイトを含めて二十数回の面接を受けたが、落ちたのは、失業保険を受けるためにたてまえの面接をやった2,3度ぐらいで、あとは全部受かっている。 中国展の面接に合格したことが、今でも大きな自信になっている。
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