| 2006年03月16日(木) |
ショートホープブルース |
ねえ、ちょっと目を閉じると 君の姿が見えてくるんだよ ねえ、ちょっと君が笑ってくれると ぼくはまた眠れなくなるよ
ねえ、寝付かれない日々だけど いつもぼくはショートホープを ねえ、いつか君にあげたいんだけど 君にはとってもわからないだろうね
ねえ、だからさ わからない君に ブルースを歌ってあげるよ ねえ、優しすぎる君の頬に ショートホープ・ブルースを
ねえ、いつか君と暮らすんだよ だからぼくはショートホープ・ブルース ねえ、いつか君と暮らすんだよ だからぼくはショートホープブルース
つかの間の夢に うつむいたぼくの心を 静かになだめてくれる ねえ、だからそんな君の頬に ショートホープ・ブルースを
ねえ、いつか君と暮らすんだよ だからぼくはショートホープ・ブルース ねえ、いつか君と暮らすんだよ だからぼくはショートホープブルース
このブログのタイトルの元となった歌である。 この歌を作ったのは、1978年6月だった。 その年の4月に東京に出たのだが、それから3ヶ月が経過した時期だった。
ちょうどその頃、ぼくは一つの転換期を迎えた。 高校を卒業した年、ぼくは大学受験を失敗し、それ以来予備校通い、自宅浪人、そして引きこもりといった一種世間から隔離されたような生活を送っていた。 そのため、世間に対して、何か引け目を感じていたものだ。 それをどうにかしたくて、いや、そういう生活から逃げ出したくて、東京に出たのだ。
東京で、何かが始まると思っていた。 東京で、何かが変わると思っていた。 しかし、そんなに甘いものではなかった。 2年間続いた落ち込んだ生活が、すぐに吹っ切れるはずもなかったのだ。 そこには、相変わらず世間に対して引け目を感じている自分がいた。
特に酷かったのが、極度の人見知りである。 なかなか人の中に入っていけないのだ。 またもや孤独と焦燥の毎日だった。 高校を卒業するまで、ぼくはそんな人間ではなかった。 たかが2年間とはいえ、浪人生活というのは深い影を落としていたのだろう。
しかも、その頃には曲すらも出来なくなっていたのだった。 何度やっても、「これ!」というのが出来ないのだ。 歌作りは、ひとりぼっちの生活の、唯一の救いだったはずだ。 その歌作りからも、ぼくは見放されたわけだ。
そんな絶望的な生活から、ようやく立ち直りの兆しが見えたのが、その年の6月だった。 ある深夜、近くでバイクの音が聞こえた。 その時だった。 曲が落ちてきた。 そう、それまでまったくできなかった歌が、出来た。 その歌が、『ショートホープブルース』だった。
歌が出来たことで、ぼくはようやくスランプから脱したような気がした。 自信を取り戻したのだ。 そしてそれを境に、東京の生活にもようやく慣れてきた。 友だちも出来始めた。 そうなってくると、面白くなかった東京生活が、だんだん面白くなってきた。 東京時代のエピソードがその時から始まったわけだ。
なぜこの曲名をブログのタイトルにしたのかというと、この歌の持つエピソードにあやかりたかったためである。 つまり、自分を立ち直らせるという意味である。
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