小学6年生の頃、友だちと校区内にある池に遊びに行ったことがある。 山の絶壁を背景にして、その池はあった。 けっこうスケールが大きく、まるで山水画に出てきそうな風景だったと記憶している。 行ったのはその時が初めてだった。 近くにこんないい場所があるのかと、その時は感心しきりだった。 ところが、それ以降はそこに行ったことがない。 それっきり、その池の存在を忘れてしまったのだ。
その存在を思い出したのは、つい最近、昨年5月末のことだった。 鞍手の長谷観音に行った時に、大きな池を見つけた。 その池を見ているうちに記憶が蘇った。 「そういえば、小学生の頃に池に行ったことがあるけど、あの池は今どうなっているんだろう」 それ以来、その池のことが気になっていた。 休みを利用して、何度かそこに行ってみようと思ったのだが、いざ行くとなるとおっくうで、そのままになっていた。
そのままになっていた理由はもう一つある。 その場所は何となく憶えているのだが、なにせ行ったのは40年近く前である。 40代に入って、それまで記憶していた道が、実は記憶違いだったという経験を何度かしている。 そのため、6年生の頃の記憶が正しいのかどうか怪しくなっていたのだ。 「もしかしたら、あれは夢だったのかもしれない」、と思うことすらあるのだ。
さて、今日は休みだった。 特にすることもなかったので、久しぶりにそこに行ってみようと思い立ち、嫁ブーを誘ってみた。 行ってみたいと言うことだったので、散歩がてら、そこに歩いて行くことにした。 記憶を確かめるために、遠回りして小学校まで行き、そこから目的地に向かった。
途中までは、ぼくの記憶通り順調にいった。 ところが、途中からだんだん怪しくなってきた。 それもそのはず、当時田んぼがあったところが、宅地になってしまい、そのために新たな道がいくつも出来ており、そのために、記憶の中の道がどの道だかわからなくなってしまったのだ。 とはいえ、方向は間違ってない。 そこで躊躇せずにどんどん歩いていくと、そこに池らしきものが現れた。
「やはり記憶は間違ってなかった」と心の中で小躍りした。 ところが、どうも小学生の頃に見た池と違うような気がする。 まず、大きさが違うのだ。 あの頃見た池は、湖と思えるほど奥深く、山の絶壁まで続いていたものだ。 だが、目の前にある池は、ただのため池だった。 その山も違う。 たしかに山らしいものはあったが、それは山というより森だった。 しかも絶壁と思っていたところは、実はため池を作るために森を少し削ったところだったのだ。
どうやら、記憶違いだったのは、その行き道ではなく、その風景だったようだ。 ぼくの中にある山水画のような壮大なスケールのあの風景は、いったい何なのだろう。 やはり夢で見た風景だったのだろうか。
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