その後もSは、結束機にかけられたりして、みんなのいいオモチャになっていた。 しかし、Sは相変わらずそれを気にしているふうでもなかった。
ある時、年上の大学生にぼくは「Sは、やっぱりバカなんですかねえ」と聞いてみた。 「ああ、あいつやろ。学校でもあんな調子らしいぞ」 「やっぱり。ところで、あいつ下の名前何というんですか?」 「いや、知らん。下の名前に何かあるんか?」 「いや、おれ最近姓名判断に凝っていて、ああいう人間を見ると調べたくなるんですよ」 「そうか」
ということで、ぼくたちは高校生の集まっている場所に行き、「Sの下の名前、何と言うんか?」と聞いてみた。 ところが、返ってきた返事はどれも「知りません」だった。 それなら直接聞いてみようということになり、ぼくたちは離れた場所にボーッと突っ立っているSのところに行った。 他の高校生も興味を持ったのが、ぞろぞろと付いてきた。 「S、おまえ下の名前何と言うんか?」 「はあ、ぼくですかあ?」 「おう、おまえに聞きよるんたい」 「何でですかあ?」 「おまえのことを好きという女がおってのう、名前聞いてくれと頼まれたんよ」 「はあ、そうですかあ」 そういうと、Sはいつものように口をポカンと開けて、例のごとく首をかしげた。 「ホント、おまえは緊張感のない奴やのう」 「えっ、緊張感…?って何ですか?」 「もういい。下の名前、何と言うんか?」 「ぼくですかあ?」 「そう。さっきからそう言いよるやろうが」 「ぼくは…」 「ぼくは?」 「名前は…」 「名前は?」 「輝彦です」 「輝彦ーっ!?」
それまでざわめいていた空間が、一瞬水を打ったようにシーンとなった。 が、その後、大爆笑が起きた。 輝彦と言えば、西郷輝彦、あおい輝彦である。 当時は美男子の代名詞のようなものだった。 その尊い名前を、バカ高の代表選手が付けているものだから、大騒ぎになった。 高校生たちは口々に、「おまえのどこが輝彦なんか」と言って、頭をこづいている。 ぼくといっしょにいた大学生などは、笑いをかみ殺して「おまえ、その名前重たくないか?」と聞いたほどだ。 しかし、S、いや輝彦君は、虚空を見ながら、「重いって何ですかあ?」と言っていた。
その後、ぼくたちがSのことを輝彦と呼ぶようになったのは、言うまでもない。 つまり、「こらS、止めんか!」が、「こら輝彦、止めんか!」となったということだ。 輝彦は、そう言われても、相変わらず口をポカンと開けて、一生懸命荷物を押していたのだった。
あれから30年近くが経つ。 輝彦はぼくより2つ下だから、今年47歳になるのだが、いったいどういう生活をしているのだろうか。 無事に結婚しているのだろうか。 結婚して子供がいたとして、妻や子供たちにいじめられてはないだろうか。 最近妙に気になっている。
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