(1)旅に出てきます 『旅に出てきます』
旅に出てきます 今吹いている風が 想い出を何もかも 持って行ったので
駅員もいない 小さなホームで 「ぼく独り」行きの 汽車を待ってます
見る景色(かげ)もなく トンネルばかりの 冷たい闇の中を 汽車は走ります
すれ違う汽車も ここにはなくて ただ二本のレールが 迷い道のよう
旅に出てきます 今吹いている風が 想い出を何もかも 持って行ったので
この歌を作ったのは、昭和57年1月だった。 前年の12月に予備校を退学し、自宅浪人に切り替えたばかりの頃だ。 なぜ自宅浪人に切り替えたのかというと、切羽詰まったところに自分を置き、甘えていた自分にムチを打ちたかったからだ。 それから2ヶ月の間、ぼくは必死に受験勉強をやるつもりだった。 だが、ここで小学校入学以来怠け続けてきたツケがまわってきた。 まともに勉強などやったことがないから、『傾向と対策』なんて頭になかった。 いや、その意味も知らなかった。 そのくせ、「この大学はこの問題が出る」などと自分勝手に山を張って、そればかりを必死で憶えていたのだからお笑いである。 つまり、その2ヶ月間というのは、毎日一夜漬けをやっていたわけだ。
そして、気分転換と言っては、いつもギターを抱えていた。 最初の頃こそ、ギターを抱える時間は短かったが、そのうちに本末が逆転した。 ギターを弾く合間に参考書を読むようになってしまったのだ。 ということで、結局どの大学も落ちることになる。
歌に関して言えば、受験勉強を始めた1月から最後に受けた大学の不合格がわかるまでに10曲の歌を作っている。 どれも退廃的で暗い感じがするのは、その境遇のせいだろう。
(2)昨日までの生きざま さて、その10曲の歌の1曲目が冒頭の『旅に出てきます』で、10曲目が次の『昨日までの生きざま』だった。
『昨日までの生きざま』
夜は明けて、日は昇り、雲は隠す 鳥は鳴き、風は吹き、今日でお別れ また街は揺れる、いつものように
人は声もかけず、忘れたふり 空は泣き、ぼくは泣き、涙は尽き くたびれた靴が、この街の想い出
この道は、いつもの道、歩き慣れた 傘もなく、びしょぬれの荷は重く 水たまりを濁す、別れの足跡
夢は消え、バスは来て、足は重く ぼくはただ、窓にもたれ、ため息つく 昨日までの甘い、生きざまは終わる
すべての大学に落ちたことにより、ぼくは自分が甘かったことを自覚することになる。 そこで、こんな歌を作って、自分を追い込もうとしたのだが、実際は上の歌詞の通りにはならなかった。 逆に、自分の甘さにドップリと浸かってしまうようになってしまったのだ。 その後、1年間を引きこもり生活に費やし、2年間を無意味な東京生活で費やし、1年間をのんびりしたバイト生活で費やしたのだった。 甘い生きざまはとどまるところを知らなかった。
(3)これからの生き方 そんな自分からいよいよ脱皮する時がきた。 それは就職して1年ほど経ってからのことだった。 その会社では、それまでとはまったく違った、働きづめの生活があった。 今までの甘い生きざまでは、到底勤まらないと自覚したぼくは、その決意を歌にした。
『これからの生き方』
これからの生き方を、変えてみたいと思う あまりに落ち込んだ、こんな暮らしをやめて 疲れた足取りを、軽やかに変えて 締め切った窓も、大きく開いてみて
大きな夢という、小さな意地を捨てて その中に縛られた、こんな自分を捨てて これまでの人生を、素直に受けとめて これからの人生に、何をするのか考えて
つなぎとめていた、恋の未練にも 別れをつげて、今日からは生きていこう これからの出会いを、大切にしていければ もうそれ以上に、何も望むことはなく
いつか来る運命の、中に向かって 夢を忘れ、恋をわすれ、ただ日々の暮らしに いくつとなく転がっている、生きざまを見つけ ただそれが夢に、つながればいいと思う
あれから25年、ぼくはずっとこの歌を理想としてきた。 だが、現実はこの歌とはかなり離れているような気がする。 時々、型にはまった人生に甘んじて、夢に繋がることを避けている自分を見つけることがある。 これは、まだまだ甘さが消えてない証拠と言えるだろう。
来年はいよいよ50代に突入する。 いつまでも甘いままではいられない。 これからの人生に何をするのか? 真剣にそれを考える時期がきている。
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