昨夜もいつもと同じく、仕事が終わったあとで嫁ブーを迎えに行った。 従業員の専用門の前に車を停め、さっそく携帯で電話をかけた。 「着いたぞ」 「すぐ行きます」
しばらくしてから、嫁ブーが出てきた。 しかし、いつもと様子が違うのだ。 嫁ブーが顔を上げた瞬間、ぼくは「えっ?」と声を上げた。 左のあごのところに白い湿布のようなものを貼っているのだ。 ぼくは「もしかしたら…」と思った。
車に乗り込んだ嫁ブーに、ぼくは言った。 「おまえ、まさか虫歯じゃないんか?」 「ああ、これやろ」 そう言って、嫁ブーは湿布のようなものと指さした。 「昨日寝る時からおかしかったんよね」 「朝はどうもなかったやないか」 「うん、朝はね。昼頃からなんよ。あごがだんだん重くなってきて、それでこんなになったんよ」 「痛むんか?」 「いや、痛くはないんやけどね」 「明日、歯医者に行った方がいいぞ」 「うーん…」 「おれが行きよったS歯科がいいぞ」 「うーん…」
嫁ブーは歯医者行きに気が進まないようだ。 そこで、 「おまえ、そのまま放っといたら、脳に菌が入って大変なことになるぞ」と言って、脅しをかけた。 「えっ、大変なこと?」 「パーになるんたい」 「パーになると?」 「おう。元々パーのに、それ以上パーになったら面倒見きれんけの。さっさと実家に帰ってもらうわい」 「‥‥」 「いいか、明日は医者に行けよ」 「うん、わかった」 ぼくも、嫁ブーには『パー』が効くということが、よくわかった。
家に着くなり、ぼくは言った。 「じゃあ、さっそく撮ろうかの」 「えっ、何を」 「写真たい」 「写真!?」 「おう。その美しい顔を写真に納めとかなの」 「何が、『納めとかなの』ね。どうせその写真を、またヒロミに送るつもりやろ」 「決まっとるやないか。美しい顔は共有せなの」 「しんちゃんといい、ヒロミといい、ホントあんたたちよく似とるねえ」 「よけいなことは言わんでいい。はいポーズ」 ぼくはすぐさま、その写真をヒロミに送った。
さて、今日のこと。 嫁ブーは、朝一番に歯医者に行った。 10時半頃だったろうか、ぼくの携帯が鳴った。 嫁ブーからだった。 「今終わったけ」 「どうやった?」 「最高に腫れるまで治療できんらしいんよ」 「えっ、まだ腫れるんか?」 「うん。昔治療した歯のどれかの神経が、まだ残っていて、それが炎症を起こしとるらしいんよ。それで、腫れきらんと、どの歯か特定できんらしい」 「そうか、それは楽しみやのう」 「何が楽しみなんね」 「腫れあがった顔に決まっとるやろ」 「もう、人ごとかと思って」 「いいか、帰ったら、また写真やけの」
電話を切ったあと、再びぼくはヒロミにメールを送った。 『ボリ(嫁ブーのこと)の顔は、まだ腫れるらしい。帰ったら写真撮って送る』 すると、ヒロミからこんなメールが届いた。 『あの焼き鳥が、歯にはさまっとるんよ!腫れがとれたら抜歯やね。抜歯の会を作らんとね』 どうやらヒロミは、嫁ブーの腫れた顔よりも、抜歯のほうを期待しているようだ。
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