朝のニュースで、吉田拓郎とかぐや姫が、来年の夏につま恋でコンサートをやると言っていた。 話によると、30年前につま恋で初の野外ライブをやった時に集まったファンたちは今頃どうしているだろうか、などと話しているうちに、再演やろうかという話になったそうなのである。
そうか、あれはもう30年前になるのか。 当時ぼくは高校3年生だった。 その頃のぼくは、自他共に認める熱狂的な拓郎ファンだった。 だが、そのコンサートには行ってない。 もちろん、そういうコンサートがあることは、音楽誌やラジオなどで大々的に宣伝していたから知っていたし、行きたいとも思っていた。 しかし、場所を聞いて萎えてしまった。 『静岡県掛川市つま恋』 つま恋なんて、初めて聞く言葉だった。 友人たちに「つま恋ちゃ、どこか?」と聞いても、誰も知る者はいなかった。 それに、ぼくの周りには拓郎ファンはいなかった。 そのため、もしそこに行くとすれば、一人で行かないとならない。 となれば、おっくうである。
次に資金の問題がある。 コンサートは8月2日だったから、それまでしっかりアルバイトをすれば何とかなったかもしれない。 ところが、7月の後半にクラブ(柔道)の試合が入っていた。 それまでは毎日練習に行かなければならないのだ。 試合が終わってからコンサートまで1週間くらいしかない。 これではつま恋に行くだけの金にはならない。 また親に頼んで金を出してもらう手もあったが、うちは裕福な家庭ではなかったから、その方法は採れない。
「こりゃもうだめばい」と思っていたところに、だめ押しが来た。 夏休みを前にしたある日、生徒指導の先生が全校生徒を前にして、「8月に静岡県で行われる吉田拓郎のコンサートは、教育委員会の指導により、行ってはいけないことになった。ということで、君たちも行かないように」と言ったのだ。 これでようやく諦めがついた。
さて、そのコンサートの翌日、ぼくは寝ないでずっとオールナイトニッポンを聞いていた。 その夜のオールナイトニッポンのパーソナリティは吉田拓郎だったからだ。 そのコンサートの模様や、興奮冷めやらぬ拓郎の声を聞こうと思ったのだ。 ところが、コンサートの翌日ということで、拓郎の声が出ない。 そこで、ゲスト出来ていた泉谷しげるが、一人でペラペラしゃべりまくっていた。 その泉谷のしゃべりの中で、印象に残った言葉があった。 「何かありそうで、終わってみれば何もなかったコンサートだった」という言葉だった。 泉谷が何を期待していたのかというと、おそらく71年の中津川フォークジャンボリーの再現だったと思われる。 71年の中津川フォークジャンボリーとは、拓郎が飲みながら歌った『人間なんて』で会場が異常に盛り上がり、一騒動起きた伝説のコンサートだった。
ところで、来年のつま恋であるが、どうしよう。 やはりファンとしては行きたいに決まっている。 嫁ブーと二人で行くことになるだろうから、一人で行くというおっくうさもないし、資金についても問題はない。 もちろん、50前の人間に対して、教育委員会は何も文句は言ってこないだろう。
しかし、新たな問題がある。 それは、その日に休みが取れるかどうかである。 コンサートは、当時と同じく、夕方から翌朝にかけて行われるだろうから、当然連休が必要になる。 一日の休みなら何とかなるが、連休となるとちょっと問題である。 公休ローテーションで回っている関係上、連休を取るのが難しいのだ。 仮にぼくが休みを取れたとしても、嫁ブーがどうなるかわからない。 せっかくチケットを取っても、休めなければどうしようもない。 行けなかったチケットを想い出として持っておくのも、むなしいものである。 さて、どうしたものか。
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