姪にとってぼくの存在は、物心ついた時から『しんにいちゃん』だったのだ。 さすがに意地の悪い友人も、ぼくと姪の鉄壁な『しんにいちゃん』関係にあてられたことだろう。 ところで、その友人のことを姪が何と呼んでいたかというと、「おじちゃん」だった。 「へえ、おじちゃんは、うちのパパと同い年なんですか?へえ…」といった具合だ。 その都度友人は、苦虫を噛み潰したような顔をしていた 「ザマーミロ」、である。
ところで、高校1年時の夏休み以外にも、ぼくはショックを受けたことがある。 それは、再び「おじちゃん」と呼ばれたことではない。 もっと先を行っていたのだ。
5年ほど前だったろうか。 仕事中にそれは起こった。 いつものように、ぼくは暇をもてあましてテレビを見ていた。 すると、やはり2,3歳くらいの、今度は男の子が、ぼくの方にトコトコと歩いてきた。 そしてぼくの前で立ち止まった。
ここまでは横須賀事件と同じである。 しかし、横須賀事件と違ったのは、その男の子がぼくに対して発した言葉だった。 先に言ったように、「おじちゃん」ではない。 当時ぼくは、すでに40歳を超えていたので、仮に「おじちゃん」と呼ばれても、もう驚きはしない。 「ああ、そんな言い方をするガキもいるだろう」と思って、軽く受け流すだろう。 そういうわけだから、もちろんショックなんて受けない。 では、何という言葉でショックを受けたのかというと、それは、「パパ」である。 「パパ」 瞬間、ぼくの中で、時間が止まった。
呆然としたぼくは、その次の瞬間、自然にこの言葉が口をついて出た。 「あんた、誰…?」 そのやりとりを聞いていたのか、その子の母親が慌てて飛んできて、「○ちゃん、はい、よーく見て。ね、パパじゃないやろ」と子供を諭し、ぼくの方を向いて、「どうもすいません。すいません」と平謝りに謝った。 そして子供を向こうに連れて行こうとした。 ところが、子供はそこから動こうとしない。 相変わらず「パパ、パパ」と言っているのだ。
結局、母親はその子を抱きかかえて、連れ去っていった。 その時も、母親は「パパは家におるやろ。あの人はね、ここの店の人よ」と言っていた。 しかし、その子供はそれを面白がっているかのように、相変わらず「パパ、パパ」を連発していたのだった。 ぼくは心の中で、「早く向こうに行け」と思っていた。 まさに『パパと呼ばないで』である。
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