そこで我慢が始まった。 待っていれば、看護婦さんがイスを起こして、「うがいして下さい」と言うだろう。 しかし、そういう時に限って、時間というものは長く感じるものである。 実際、その待ち時間は2,3分くらいのものだった。 にもかかわらず、ぼくには10分、いや20分くらいにも感じたのだった。 その間何度もつばを飲み込もうとしたものだ。
ようやく看護婦さんがイスを起こした時、ぼくは真っ先に、口にたまっているつばを吐き捨てた。 これで一安心、と思っていたら、また新たな疑問がぼくの頭の中で渦巻いた。 「もしかしたら、つばのせいで液体の効果がなくなったのではないか…?」
その疑問が当たっていたかどうかはわからない。 が、その後の注射はかなり痛く感じたものだった。 しかも、針を刺している時間が長い。 先生は時間かけて、ゆっくりと麻酔を注入しているのだ。 神経が過敏になっているせいか、麻酔が歯ぐきの中に入っていくのがわかる。
その注射も、もうすぐ終わりかなと思った時だった。 またもや液体が舌に落ちてきた。それも大量に。 一瞬、何だろう?と思ったが、よく考えてみると、これは麻酔液以外の何ものでもない。 おそらく、歯ぐきの中に収まりきれなかった麻酔液が逆流してきたのだろう。 その味はというと、これがかなり苦い。 塗り薬は若干の甘さを感じたものだが、麻酔液には若干ほどの甘さもない。
ここでまた我慢が始まった。 今度は量が多すぎて、つばで薄めるなどということも出来ない。 ということは、濃度100%ということだ。 こういうのを飲み込んでしまったら、食道や胃はどうなってしまうのだろうか? やはり相当時間しびれるのだろうか? ああ、そうだった。 食道や胃だけではない。 水を飲んだ時に、その水が通る箇所すべてがしびれていくわけだ。 そこには、腸があり腎臓があり、膀胱がある。 腸や腎臓がしびれた状態…、ちょっと想像できない。 が、膀胱がしびれた状態というのは、何となくわかる。 尿がたまっても、何も感じない。 そして、気がつけば漏らしていた…、などということになるのだろう。
ぼくは麻酔液がのどに行かないように、必死に舌で塞いでいた。 ところが、そこに新たな敵が現れた。 鼻水である。 実は数日前から、若干鼻風邪気味だったのだ。 ずっと上を向いた状態だったため、鼻水がのどに落ちてきたのだ。 鼻水が落ちてくると、のどは反射的にそれを飲み込もうとする。 それにまた神経を遣わなければならなくなったのだ。
一方の先生はというと、相変わらずぼくの口に手を当てている。 まだ注射をしていたのだ。 最初は痛みを感じていたものの、その時には、すでに痛みを感じなくなっている。 ぼくは、『先生、もう麻酔は効いてきますから、注射をやめて、うがいをさせて下さい』と心の中で懇願していた。
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