工事は1週間ほどかかった。 工事の最後の日、おっさんは母に向かって、「いやー、大変な工事でしたよ」と言った。 母が「息子は役に立たなかったでしょ?」と言うと、おっさんは「ぼっちゃんもそこそこやってくれましたよ。まあ、ほとんど私一人でやったようなもんでしたがね。ははは」と言っていた。 何が「ははは」だ。 さんざん人をこき使い、自分は手抜きばかりしていたくせに。 しかし、ぼくは何も言わなかった。 もう二度とそのおっさんに関わりたくなかったからだ。
そして、おっさんは「で、こういうふうになっております」と言いながら、母に請求書を渡した。 その額は、見積書通りだった。 つまり、ぼくが手伝った分の割引はなかったわけだ。 母はその金額を、ぼくのバイト代から支払っていた。 最後におっさんは、ぼくに「じゃあ、ぼっちゃんまた」と言った。 しかし、ぼくは知らん顔をしていた。
その後、ぼくはまた、アルバイトを探しながらも行動に移さない生活に戻った。 しかし、その年の前半のような、引きこもった生活を送っていたわけではなかった。 頻繁に外に出るようになっていたのだ。 そのおかげで、街でばったりあった友人から、全日本プロレスのリング作りの依頼を受けたこともあった。
さて、そんな生活を送っているうちに、11月も後半になった。 ある日、高校時代の友人から電話がかかった。 「おい、おまえ今何しよるんか?相変わらずか?」 「おう、相変わらず何もしよらん」 「そうか。おれも何もやってない」 「何か用か?」 「おう。今新聞見よったら、いいバイトがあったんよ。よかったら、行ってみらんか?」 「どんなバイト?」 「運送会社」 「運送会社?どこの?」 「Y運送」 「聞いたことないのう」 「井筒屋の配送を請け負っとるところらしい」 「配達のバイトか?」 「そうやないかのう」 「でも、おれ、免許持ってないぞ」 「いや、免許はいらんらしい。おそらく助手かなんかの仕事やろう」 「ああ、それやったら出来そうやのう」
すでに極度のスランプ状態から抜け出していたのと、友人といっしょという心強さから、ぼくはそのY運送の面接を受けることにした。
その翌日、ぼくは友人と落ち合い、その足でY運送に行き、面接を受けた。 面接では友人がペラペラとしゃべりまくり、ぼくがしゃべることはなかった。 ぼくが言った言葉といえば、面接官の「いつから来れますか?」という問いに対して答えた、「いつでもいいですよ」というひと言だけだった。
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