頑張る40代!plus

2005年01月06日(木) 上京前夜(5)

工事は1週間ほどかかった。
工事の最後の日、おっさんは母に向かって、「いやー、大変な工事でしたよ」と言った。
母が「息子は役に立たなかったでしょ?」と言うと、おっさんは「ぼっちゃんもそこそこやってくれましたよ。まあ、ほとんど私一人でやったようなもんでしたがね。ははは」と言っていた。
何が「ははは」だ。
さんざん人をこき使い、自分は手抜きばかりしていたくせに。
しかし、ぼくは何も言わなかった。
もう二度とそのおっさんに関わりたくなかったからだ。

そして、おっさんは「で、こういうふうになっております」と言いながら、母に請求書を渡した。
その額は、見積書通りだった。
つまり、ぼくが手伝った分の割引はなかったわけだ。
母はその金額を、ぼくのバイト代から支払っていた。
最後におっさんは、ぼくに「じゃあ、ぼっちゃんまた」と言った。
しかし、ぼくは知らん顔をしていた。

その後、ぼくはまた、アルバイトを探しながらも行動に移さない生活に戻った。
しかし、その年の前半のような、引きこもった生活を送っていたわけではなかった。
頻繁に外に出るようになっていたのだ。
そのおかげで、街でばったりあった友人から、全日本プロレスのリング作りの依頼を受けたこともあった。

さて、そんな生活を送っているうちに、11月も後半になった。
ある日、高校時代の友人から電話がかかった。
「おい、おまえ今何しよるんか?相変わらずか?」
「おう、相変わらず何もしよらん」
「そうか。おれも何もやってない」
「何か用か?」
「おう。今新聞見よったら、いいバイトがあったんよ。よかったら、行ってみらんか?」
「どんなバイト?」
「運送会社」
「運送会社?どこの?」
「Y運送」
「聞いたことないのう」
「井筒屋の配送を請け負っとるところらしい」
「配達のバイトか?」
「そうやないかのう」
「でも、おれ、免許持ってないぞ」
「いや、免許はいらんらしい。おそらく助手かなんかの仕事やろう」
「ああ、それやったら出来そうやのう」

すでに極度のスランプ状態から抜け出していたのと、友人といっしょという心強さから、ぼくはそのY運送の面接を受けることにした。

その翌日、ぼくは友人と落ち合い、その足でY運送に行き、面接を受けた。
面接では友人がペラペラとしゃべりまくり、ぼくがしゃべることはなかった。
ぼくが言った言葉といえば、面接官の「いつから来れますか?」という問いに対して答えた、「いつでもいいですよ」というひと言だけだった。


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