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2004年12月11日(土) 『左遷』裏話(上)

【例の『左遷』について】
先月から今月にかけて、『左遷』という日記を付けていたが、それを読んで「フィクションでしょ?」と言ってくる人がいた。
が、それは紛れもない事実で、昭和62年4月〜63年3月にかけてぼくが実際に体験したことである。
そこまでの会社生活が、わりと順調に行っていたから、この左遷はショックだった。
が、そこまで落ち込むことはなかった。
もし落ち込んでいたら、さっさと会社を辞めていただろう。
『左遷』にも書いたが、そこで辞めなかったのは意地があったからだ。
しかし、今考えてみると、意地を張らずにそこで辞めておいたほうがよかったような気がする。
一つの業界にしがみつかずに、新たな人生が始まったかも知れないのだ。
それによって、もっと視野を広げられたかも知れない。
それを考えると、残念である。

辞めるのは簡単だった。
店長から嫌われていたのだから、辞表を出せば、「はい、お疲れさん」となったはずだ。
もしそこで、相手が、ぼくを辞めさせずに飼い殺しにしようとしても、ぼくにはそれを覆す奥の手があった。
それが何かということは、あとで述べることにする。

【前任の店長の話】
その前の店長はどういう人だったのかというと、管理面で非常に優れた人だった。
反面、営業面では恵まれない人だった。
その前の店長の時、多額の売掛けやテッポーが発覚した。
その整理のために、その店長は赴任したのだが、それが営業のネックになった。
つまり、そういう処理をすることにより、売り上げが食われていくということだ。
そのために、毎月予算を落としていた。
どこの企業もそうだが、地味な管理よりも、派手な営業の数字の方に目がいくものである。
当然、本社はその店長の営業手腕を問うようになる。

そこで、店長は最後の賭に出た。
年度末に行われる映像のキャンペーンで、外販部隊を結成したのだ。
メンバーは12名で、その中にぼくも入っていた。
その外販部隊に課せられた使命は、
「店のことは考えなくてもいいから、とにかく映像商品を売ってこい」だった。
予算は高く、一人1000万円だった。
外販経験者はたったの一人で、他はみな初心者である。
そのため、「予算は1000万円」と聞いた時、みな動揺した。
それを見て店長は、メンバーにある特典を与えた。
それは、
「映像商品さえ売れば、喫茶店でさぼろうが、パチンコしようが、別に咎めん」というものだった。

それを聞いた時、誰もが半信半疑だった。
「何とか言いながら、縛り付けるんやろう」
というのが、大方の見方だった。


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