その後も次々と、先生のほらが判明する。 ぼくが小学1年生の頃に入門を断ったのも、5年生の時に断ったのも、ぼくの体が出来てないという理由からではなかった。 実は、その頃先生は道場経営をやっていなかったのだ。 自分のやっていた事業の税金対策のために、以前やっていた道場経営を、いまだやっているかのようなふりをしていただけだった。 いわば幽霊道場だったわけである。 そりゃあ、道場をやってないから弟子は取らんわなあ。 それでもぼくがしつこく行くもんで、ついに断り切れなくなったのだ。 渋々道場を再開したのが実情だった。
その後、先生宅横にある道場に練習場所を移すことになるのだが、その時引っ越しの手伝いには、水曜日のメンバーしか来ていなかった。 おかしいと思ったぼくは、Kさんに訊いてみた。 「今日は金曜日の人は来んと?」 「金曜日のメンバー?何ね、それは」 「先生が前に、金曜日に他の人が練習しよると聞いたんやけど…」 「してない、してない。練習は水曜日だけ」 ということで、金曜日に他の練習生が来ているというのも嘘だった。
新しい道場に移ってから、なぜか練習生が増えていった。 幽霊道場になる以前の活気を取り戻したのだ。 ところが先生、何を思ったか、ある時期から柔道を教えなくなった。 代わりに始めたのが、居合道だった。 ある日突然、「今日から居合をする」と言った。 それから柔道はろくに教えずに、居合を教えるようになった。 柔道の練習時間は2時間から30分に減った。 残りの1時間半を居合に当てたのだ。 そうこうするうちに、柔道の練習生は減っていき、居合の弟子ばかりになってしまった。 その後、高校に進学したぼくは、柔道部に籍を置くことになり、道場へはほとんど行かなくなった。 高校卒業後は、その柔道もやめてしまった その頃、道場はまだ存続していた。 が、柔道場としてではなく、居合道場としてである。 それから10年ほどして、先生は亡くなった。 遺った弟子たちが、細々と道場をやっていたが、それも長くは続かなかった。 昔ぼくが山嵐を求めて通った道場は、今駐車場に変わっている。
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