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2004年09月06日(月) 山嵐(7)

ある本に『山嵐という技は、体落しに似た技だった』と書かれていた。
柔道をやった人ならわかると思うが、体落しは足をかける支点が低ければ低いほど受け身の取りにくい技である。
おそらく、西郷は自分の体型にあった体落しを工夫したのだろう。
体落しのタイミングで投げに入る。
普通ならこれだけで投げられる。
ところが西郷は、それに加えて足を払う。
これで投げられる勢いは、普通の体落しの倍になる。
これでは、相手は受け身が取れないだろう。

高校の頃だったが、試合前日、後輩を相手に練習していた。
その時、右大外刈りで相手を崩した。
が、なかなか相手は倒れようとしない。
そこで右足を相手にかけたまま、二、三歩前に出た。
そして、相手の残っている足を、こちらの左足で払った。
すると、二人の体は宙に浮き、そのまま畳の上に落ちていった。
下になった後輩は、受け身を取れずに頭を強打した。
後輩は一時動けなかった。
ひとつの技が完成した瞬間だった。
が、それ以来ぼくはその技をやったことがない。
もし相手の打ちどころが悪ければ、確実に死ぬからだ。

おそらく西郷の山嵐も、そういう危険性の伴った技だったのだろう。
だけど、西郷はぼくのように技を封印しなかった。
だから歴史に名を残したのだろう。
しかし、その技の練習台になった人は、たまらなかっただろうなあ。
「○○君、すまんが、もう一本つきあってくれ」
「ええっ、またですかぁ。西郷さん、もうやめてください」
という会話があったかもしれない。

さて、山嵐が西郷のオリジナルとわかったことで、先生が大ぼら吹きあることが判明した。
明治中期、まだ生まれてもなかった先生に、早々と柔道をやめた西郷の技など見られるはずもない。
写真で見たのかもしれないが、それで技がわかるはずもない。
また、先生が講道館にいた頃、もしかしたら西郷の技を見た人がいたかもしれない。が、西郷しかできない技を、どうやってその人が実演できたのだろう。
後日、ぼくたちにキックボクシングの沢村忠は自分の弟子で、時々泊まりに来ると大ぼらを吹いた先生である。
「山嵐が出来る」と言うくらいは、ほらのうちにも入らなかったのだろう。


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