『東京』 久しぶりに東京の街を歩いた時 ぼくは夏の日のことを思っていた。 あの頃はやはり夏だったのだろう。 想い出はすべてあの埠頭から 荷を積み出していた時のことばかり。 何があったわけではない。 ただ、その毎日の繰り返しが懐かしくて… 十時には終わる仕事だった。 それから銭湯に通うのだった。 もう人影もまばらで ぼく一人の石鹸が、泡を立てていた。 少しにごった湯船が ぼくの東京時代のすべてだった。 夏の暑い日だった。 ぼくはそんな毎日が好きだった。 彼女がいたわけでもなかった。 金があったわけでもなかった。 夢を追っていたわけでもなかった。 これが東京だという出来事もなかった。 ただ、そんな単純な毎日の繰り返しは ぼくの中で確実に時を刻んでいった。 久しぶりに東京の街を歩いた時 そんな夏の日のことを思っていた。 そしてそんな夏の日の想い出は ぼく一人の石鹸の香りとして ぼくの中を今も漂っている。
東京2年目の夏、ぼくは運送会社でアルバイトをやっていた。 仕事は夕方4時からだった。 まず本社のある浅草橋に行き、そこで荷物を積み込む。 その後、豊洲埠頭に異動して、荷物の仕分けを行うのだ。 アルバイトの内容については前に書いたことがあるのでそちらを見てもらえばわかるが、とにかくあまりきれいな仕事とは言えなかった。
仕事が終わるのは、だいたい夜の10時頃だった。 その後、アルバイト全員浅草橋に戻り、そこで解散となるのだが、ぼくだけいつも門前仲町で降ろしてもらっていた。 浅草橋から総武線に乗り、さらに新宿から山手線に乗り換えて…、などとやっていると時間がかかってしまうからだ。 なぜ門前仲町で降りるかというと、そこには地下鉄東西線の駅があったのだ。 ぼくは高田馬場に住んでいたので、東西線に乗って帰ればさほど時間もかからない しかも下宿は東西線駅のすぐそばだったので、さらに都合が良かった。 とはいえ、帰り着くのはいつも11時前後だった。 銭湯は11時までしか営業してないので、行けないこともあった。 いや、行けないことのほうが多かった。 そういう時は下宿の炊事場で体を拭き、頭を洗っていたものだった。
たまに銭湯に行くと、もうほとんど人はいない。 番台さんも、お金の計算などをやっている。 「まだいいですか?」と言うと、番台さんは無愛想に「どうぞ」と言う。 ゆっくり浸かっていたいのだが、それも出来ない。 窓の向こうにいる番台さんが、チラチラとこちらを見ている。 「時間がない」と焦って体を洗うので、なかなか石鹸も泡立たない。 風呂から上がった後は、ゆっくり体を拭く暇はない。 もちろん、いちご牛乳などを飲む暇もない。
冒頭の詩は、そんな日々の思い出である。
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