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2004年07月10日(土) 金剛経のこと(前)

十数年前、ぼくが仏教書を読んでいた頃、一つだけ気になるお経があった。
『金剛経』というお経である。
般若心経や観音経に比べると、知名度のずっと低いお経なのだが、このお経がなぜかマンガに載っていたりする。
「山、山にあらず、これを山という。わかるか、岡」
確かこんなセリフだったと思う。
岡とは岡ひろみのこと、そう『エースをねらえ』である。
このマンガ、当初は俗にいうスポ根マンガだったが、2部からだんだん宗教色の濃いものになっていった。
「山、山にあらず…」と言ったのは、宗方コーチ亡き後、岡のコーチになった桂コーチである。
彼は永平寺の修行僧だった。
普通の人なら坊さんをテニスのコーチには選ばない。
が、この作者山本鈴美香は違った。
無理矢理コーチを永平寺に求めたのだ。
おそらく彼女は、宗教的な雰囲気が好きだったのだろう。
その証拠に、彼女はその後、新興宗教の教祖になっている。

さて、そのぼくはお経が気になっていたと書いたが、別に『エースをねらえ』を読んだから気になったのではない。
このお経にある『応無所住而生其心(おうむしょじゅうにしょうごしん)』という言葉に惹かれたのだ。
『応無所住而生其心』、これは「何ものにも執着することなく心をおこせ」という意味だが、実に面倒くさい言葉である。
武道でいう『無念無想』と言ったほうがわかりやすいかもしれない。
剣豪宮本武蔵はこの境地に達していたと言われている。

無念無想といえば、同じく剣豪の千葉周作に面白い話がある。
ある商人が周作に「命を狙われています。私に剣術を教えてください」と頼んだ。
すると周作は、「目を閉じて刀を大上段に構えよ。そして相手が動く気配がした時に振り下ろせ」と教えたらしい。
後日、賊に命を狙われた商人は、周作の言いつけどおりに、目を閉じて刀を大上段に構えた。
もちろん動く気配がしたら、刀を振り下ろそうと思っていた。
が、いつまで経ってもその気配が感じられない。
しばらく経って、目を開けてみると、そこにはもう賊はいなかった。
そのことを周作に言うと、周作は「相手はお前の構えを見て、恐れをなして逃げたのだ」と言ったという。
おそらく賊は、目を閉じ刀を振り下ろすことに集中している商人の姿を見て、『無念無想』を感じたのだろう。

お経と剣術、そこには何の関係もないと思われる。
が、実はこの金剛経は、武士の心の支えとなった禅と大いに関係があるのだ。
それは、禅宗の六祖である慧能がこの言葉を聞いて、出家を志したという故事からきている。
出家を志したというより、慧能はこの言葉を聞いて大悟したのだろう。
なぜなら、その後寺に入った慧能は、修行らしい修行もせずに、五祖の後継者に抜擢されているからだ。
そういう理由からか、禅宗ではこのお経は重要な教典の一つになっている。


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