十数年前、ぼくが仏教書を読んでいた頃、一つだけ気になるお経があった。 『金剛経』というお経である。 般若心経や観音経に比べると、知名度のずっと低いお経なのだが、このお経がなぜかマンガに載っていたりする。 「山、山にあらず、これを山という。わかるか、岡」 確かこんなセリフだったと思う。 岡とは岡ひろみのこと、そう『エースをねらえ』である。 このマンガ、当初は俗にいうスポ根マンガだったが、2部からだんだん宗教色の濃いものになっていった。 「山、山にあらず…」と言ったのは、宗方コーチ亡き後、岡のコーチになった桂コーチである。 彼は永平寺の修行僧だった。 普通の人なら坊さんをテニスのコーチには選ばない。 が、この作者山本鈴美香は違った。 無理矢理コーチを永平寺に求めたのだ。 おそらく彼女は、宗教的な雰囲気が好きだったのだろう。 その証拠に、彼女はその後、新興宗教の教祖になっている。
さて、そのぼくはお経が気になっていたと書いたが、別に『エースをねらえ』を読んだから気になったのではない。 このお経にある『応無所住而生其心(おうむしょじゅうにしょうごしん)』という言葉に惹かれたのだ。 『応無所住而生其心』、これは「何ものにも執着することなく心をおこせ」という意味だが、実に面倒くさい言葉である。 武道でいう『無念無想』と言ったほうがわかりやすいかもしれない。 剣豪宮本武蔵はこの境地に達していたと言われている。
無念無想といえば、同じく剣豪の千葉周作に面白い話がある。 ある商人が周作に「命を狙われています。私に剣術を教えてください」と頼んだ。 すると周作は、「目を閉じて刀を大上段に構えよ。そして相手が動く気配がした時に振り下ろせ」と教えたらしい。 後日、賊に命を狙われた商人は、周作の言いつけどおりに、目を閉じて刀を大上段に構えた。 もちろん動く気配がしたら、刀を振り下ろそうと思っていた。 が、いつまで経ってもその気配が感じられない。 しばらく経って、目を開けてみると、そこにはもう賊はいなかった。 そのことを周作に言うと、周作は「相手はお前の構えを見て、恐れをなして逃げたのだ」と言ったという。 おそらく賊は、目を閉じ刀を振り下ろすことに集中している商人の姿を見て、『無念無想』を感じたのだろう。
お経と剣術、そこには何の関係もないと思われる。 が、実はこの金剛経は、武士の心の支えとなった禅と大いに関係があるのだ。 それは、禅宗の六祖である慧能がこの言葉を聞いて、出家を志したという故事からきている。 出家を志したというより、慧能はこの言葉を聞いて大悟したのだろう。 なぜなら、その後寺に入った慧能は、修行らしい修行もせずに、五祖の後継者に抜擢されているからだ。 そういう理由からか、禅宗ではこのお経は重要な教典の一つになっている。
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