【天文学】 7月7日の日記、2001年のタイトルは『いいかげんにしろ韓国』だった。 2002年のタイトルは『アニメのエンディングテーマ』だった。 昨年のタイトルは『雨具の話 後編』だった。 ご覧のとおり、七夕に関する日記は一つもない。 彦星とか織姫とかいう名前を何十年も忘れていたのだから、それもしかたのないことかなと思う。 元々ぼくは理科が嫌いだったので、その一分野である天文学にも全く興味がなかった。 だいたい太陽系の配列でさえ知らないのだ。 こう言えば、いかに天文学が駄目だかがわかるだろう。
さて、天文学そのものには全く興味がないのだが、天文学という名が付いたもので、一つだけ興味があるものがある。 それは、高村光太郎の『天文学の話』という詩である。 「それはずつとずつと先の事だ。 太陽が少しは冷たくなる頃の事だ。 その時さういふ此の世がある為には、 ゼロから数字を生んでやらうと誰かが言ふのだ。 さうか、天文学の、それは話か。 仲秋の月ださうだ、空いちめんをあんなに照らす。 おれの眼にはアトムが見える。」 前に『ゼロから数字を生んでやらう』という詩句が好きだということをこの日記に書いたが、それは今でもそうで、何かにつまずくと、無意識のうちにこの詩句を心の中で叫んでいる。 これを叫ぶと、何かをやらねばならない気になるから、不思議である。
【短冊に託して】 新聞に、拉致被害者の地村さん夫妻が、地元で行われた「七夕のつどい」に出席したという記事が出ていた。 今年の5月に子どもさんが帰国、再会を果たした地村さん夫妻は、その喜びや拉致問題全面解決の思いを短歌に詠み、短冊に書いて笹に結びつけたという。 「我が祈り満ちて迎える七夕に 更なる願い届け星空」(保志さん) 「ひたすらな願い叶いて感謝の気 親子で仰ぐ故郷の夜空」(富貴恵さん)
最近は七夕の短冊に、短歌が書かれてあるのを見ることはほとんどない。 ほとんどが、「〜になりますように」的なものが多い。 うちの店に飾ってある笹にも、今回いろいろな短冊がつるしてあったが、何か標語みたいなものばかりで、そこには短歌はまったくなかった。 昔は普通に短歌が書いてあったものだったが。
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